2011年1月 「母」
毎年、新年に吉祥寺の母の家に皆が集まる。 今年は孫に当たる世代、4組の新婚カップルが加わり、いつにもまして賑やかで華やいだお正月になった。
今年87歳の母は、ここ数年毎年のように「こんな風に出来るのは今年が最後かもしれない」と言いつつこの日のために手間をかけ心のこもったお節料理を準備する。 ふるさと京都の祖母が新年を迎えるためにまめまめしく働いていた姿を思いだしながら支度をし、皆が帰るときの笑顔に、来年も頑張れるかもしれないと思うのだという。
母に日中電話をしても殆どつかまらない。 卓球、絵画教室、短歌サークルへと飛び回っているのである。 そんな母のすごいところは、自分の苦手なことにもチャレンジしそれを目標に楽しみに変えているところだ。
一つはピアノ。 子供時代にオルガンを習っていた母だが、思い出の詰まった家を兄夫婦との二世帯住宅に改築したのを契機に、兄嫁からピアノの手ほどきを受けるようになった。 その後、兄嫁の体調がすぐれなくなってからは、皆が集まった時に発表することを目標に掲げ、自分で練習を重ねている。そんなリサイタルの日が来るのをゆっくりと楽しみに待っている。
もう一つはエッセイ、昔は書くことが苦手だったという母の自分史への挑戦。 文をまとめパソコンで打ち、短歌や写真を挿入し、製本まで自分で仕上げてしまう。 もうすでに8冊が完了しているが、母の人生と同じようにこれからもまだまだ続きがある。 人が生きてきた証を表すのは本当に素晴らしいことだと思う。昨日、残された一生の間に、親とあと何回会えるかを平均寿命を基に日数で表していたテレビ番組があり、愕然とした。 忙しい母とは日常的にメールや電話で連絡を取るものの、実際に会うことは一年に数回しかない。 これからは機会を作り会いに行き、たくさんおしゃべりをしたいと思う。
作者は3つの「もし、」で私たち一人一人に問いかけている。
もし、地球の天然資源が使い尽くされ、資本主義が終わりを迎えることになったら?
もし、気候変動がさらに進み、自然がその手によって人類の急激な増加に歯止めをかけるとしたら?
もし、人類が、その進化的な本能ゆえに、今後も目先の物欲を抑えることが出来ないとしたら? 地球ではいったい何が起きるだろうか。
村上龍の小説「歌うクジラ」のような未来は御免こうむりたい。
2011年2月 「ネットワーク社会」
映画「ソーシャル ネットワーク」をみた。 米雑誌のフォーブスが発表した、世界で最も若い10人の億万長者で2010年の第一位にランクされた「フェイスブック」の創始者、マーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げた時の実話で興味深かった。
当初フェイスブックは交流サイトとして立ち上がり、インターネット関連ビジネスのツールとして利用されていたが、今やフェイスブックなどSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)の情報は様々な国の若者を中心に瞬時に広がり、チュニジアやエジプトの独裁政権を倒し、リビアのカダヒィ政権を崩壊しつつ、その波は中東から世界へと広がろうとしている。
フェイスブックの会員数は世界中で5億人を超えるという。 これらの波は歴史上の市民革命にとって代わる民主化の波なのだろうか。 その津波のような激しさと急激な変化に、その後の体制や人々の暮らしが心配される。
フェイスブックの創業者、ザッカーバーグとモスコビッツは資産の半分を慈善活動に寄付したという。
日本では年末から「タイガーマスク」現象が現れた。 漫画「タイガーマスク」の主人公、伊達直人を名乗る人から全国の恵まれない子供たちのいる施設にランドセルや現金などのプレゼントが匿名で送られた。 こちらは水面に出来る波紋の様に全国に広がっていった。 フェイスブックを使って寄付を募る動きも出ているが、タイガーマスクの様に、善行を行う時に匿名にする人が多いのは日本人の奥ゆかしさゆえだろうか。
後戻りができないネット社会の中で、ネットを通じて情報を発信する側としても、情報に振り回されないように上手に付き合っていかなければと思う。
映画「ソーシャル ネットワーク」をみた。 米雑誌のフォーブスが発表した、世界で最も若い10人の億万長者で2010年の第一位にランクされた「フェイスブック」の創始者、マーク・ザッカーバーグがフェイスブックを立ち上げた時の実話で興味深かった。当初フェイスブックは交流サイトとして立ち上がり、インターネット関連ビジネスのツールとして利用されていたが、今やフェイスブックなどSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)の情報は様々な国の若者を中心に瞬時に広がり、チュニジアやエジプトの独裁政権を倒し、リビアのカダヒィ政権を崩壊しつつ、その波は中東から世界へと広がろうとしている。
フェイスブックの会員数は世界中で5億人を超えるという。 これらの波は歴史上の市民革命にとって代わる民主化の波なのだろうか。 その津波のような激しさと急激な変化に、その後の体制や人々の暮らしが心配される。フェイスブックの創業者、ザッカーバーグとモスコビッツは資産の半分を慈善活動に寄付したという。 日本では年末から「タイガーマスク」現象が現れた。 漫画「タイガーマスク」の主人公、伊達直人を名乗る人から全国の恵まれない子供たちのいる施設にランドセルや現金などのプレゼントが匿名で送られた。 こちらは水面に出来る波紋の様に全国に広がっていった。 フェイスブックを使って寄付を募る動きも出ているが、タイガーマスクの様に、善行を行う時に匿名にする人が多いのは日本人の奥ゆかしさゆえだろうか。
後戻りができないネット社会の中で、ネットを通じて情報を発信する側としても、情報に振り回されないように上手に付き合っていかなければと思う。
2011年3月 「がんばろう 日本」
2011年3月11日、日本を揺さぶる巨大地震が発生し、東日本大震災と名付けられた。 震源地から遥か遠く離れた横浜の我が家でも仏壇が倒れ、本棚のスライド部分が落下した。 耐震対策の食器棚は扉を開かずに踏ん張っていたが、棚と扉との隙間に食器が落下し、グラスやお皿が破損した。
この日、海老名駅からバスで50分の愛川町町役場の中にある事業所の調査に出かけていたが、帰宅後ほっとお茶を飲んでいる時に地震は起きた。 首都圏でも電車が止まり、多くの人が会社に泊りこんだり、徒歩帰宅を余儀なくされた。 通電後のテレビで、想像をはるかに超える津波や原発事故の映像を見るにつけ、現実の出来事とは信じ難く被災された方々の心情を思った。
「日本には明治維新、戦後の復興に次ぐ三度目の奇跡を起こす底力を信じる」という新聞の言葉に力をもらい、23日から始まった選抜高校野球開会式で行われた創志学園の野山主将の選手宣誓に感名を受けた。
『宣誓。 私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。 今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。 被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。 人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。 私たちに今できること。 それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
がんばろう!日本。 活かされている命に感謝し、全身全霊で堂々とプレーすることを誓います』
「感動とは心の奥にしまいこまれていた感情が呼び起こされ、共感すること」だという。 一人ひとりが自分にできることを出来る範囲でしようと思う人が増え、町を行きかう人々の表情も以前より優しくなったように感じる。 この未曾有の災害に世界中から支援が集まると共に、日本がどのように復興していくのかも注目されている。 世界中の人々に感謝するとともに、日本人は冷静で誇り高く、粘り強い民族であることを世界に証明していきたい。
地震の翌日、イギリスの新聞 Independent on sunday に『がんばれ、日本。 がんばれ、東北。』の応援メッセージが出された
Don't give up, Japan Don't give up Tohoku
2011年4月 「植物の力」
今回の東日本大震災で、岩手県陸前高田市の海岸線にある国指定の「高田松原」も津波により壊滅したが、ただ一本の松が倒れずに残った。 その松は奇跡の松と言われ、復興のシンボルになっている。
植物は人の心をケアする力を持つと言われ、医療分野でも園芸療法が行われている。 花はただ咲いているだけで人の心を癒し、眺める人の気持ちを前向きにさせてくれる。
避難所に花を贈ろうという運動がおこり地元の高校生が実習で育てたシクラメンを避難所に届けている、という話を聞いた。 その花を子供たちが順番で世話をしているという。 木々や草花は人の語りかけに答えてくれる。 花を育て花と会話し、仲間と会話しながら輪は徐々に広がっていくことだろう。
4月1日の誕生日、災害に遭われた方々への鎮魂の祈りを込め白いバラを買い求めた。 そして、何でもいいから小さな命を育てたいという思いに駆られ、ベランダのプランターにスイートバジルとイタリアンパセリの種をまいた。種をまいた土に水をやり、これから芽吹く草々に思いをはせると、気持ちがふわっと前向きになった。
2011年5月 「乗数効果」
3月11日の東日本大震災を境に日本は大きく変わろうとしている。 被災地は依然として原発問題を抱え復旧・復興に追われているが、気持ちを切り替え働き方や暮らしを見直す人も増えてきている。家庭では、父親を交え家族そろって食事をとる家庭が増え、大きめの調理器具が売れている。 電力不足から始業時間を1時間早めるサマータイム導入を始める企業も増え、退社後に習い事を始めたり趣味のジョギングをする人も増えているそうだ。
新聞に 「2m+2m=4m、 2m×2m=4㎡ 同じ4でも単位を付けると全く別の4になる」 と書かれていたのを読み、当たり前のことなのにひどくハットさせられ、なんだか心の中に時空が広がった気がした。 日々の生活にもそんな乗数効果が生まれてほしい。
デパートでは婚約指輪や結婚指輪の売り上げが2割増えているという。 心の支えが欲しくなり若者の人生観が少し変わったのだろうか。 人と人のつながりなど全てのことに乗数効果が生まれれば、明るい光が見えてくる。
5月7日に初孫が誕生した。 小さな命を見ていると「命への畏敬の念」と共に、かかわったすべての人々への「感謝の気持ち」がじわじわと湧き上がってきた。 「はじめて赤ちゃんを見た時は感動した?」と聞かれたけれど、それは、「感動」という言葉ではとても表すことができない「深い驚き」とでもいえる感情だった。 小さな命の誕生を祝う人々の笑顔を見ていると、これこそまさに人と人を結ぶ乗数効果であると思えてきた。 全ての人々のこれからの人生に幸あれと願う。
2011年6月 「風土」
今回のような大震災に遭ったとき、日本人は自分を自然の一部とみなし、それに正面から挑むことなく受容する。 日本人は怒りを表に出さず、現実を受け入れながら忍耐強く困難に立ち向かう。 海外から賞賛されるこのような日本人の姿は、日本人独特の風土に寄るところが大きい。 だから、We think we are a part of nature. などと訳すと日本人の真の姿は伝わらない。
学生時代の恩師が和辻哲郎の「風土」を講義で取り上げたが、その日本人論は今でも心に深く刻まれている。 改めて「風土」を読み直してみる。 以下が概略である。
我々はすべていずれかの土地に住んでいる。 歴史を離れた風土もなければ風土を離れた歴史もない。 人間、共同体としての社会は風土的規定を受ける。 地球には三つの類型があり、日本はモンスーン的風土に当てはめられる。
モンスーン域の人間は寒国的人間や砂漠的人間に比べて、自然に対抗する力が弱い。 それは「湿潤」からくるもので、湿気は最も耐え難く防ぎがたいものであるにもかかわらず、湿気は自然への対抗を呼び覚まさない。
一つには、湿潤が自然の恵みを意味するからで、この水ゆえに夏の太陽の真下にある暑い国土は旺盛なる植物によって覆われる。 自然は死ではなく生であり、人と世界の関わりは対抗的ではなく受容的である。二つ目は、湿潤が自然の暴威をも意味する。 湿潤はしばしば大雨、暴風、洪水、旱魃など荒々しい力となって人間に襲いかかる。 それは人間をして対抗を断念させるほどに巨大な力であり、人間をただ忍従的たらしめる。
日本の文化や日本人の宗教観が論じられるたび、自然と文化について深く考察されたこの本を、恩師
の声と共に懐かしく思い出す。 本の裏表紙に昭和43年10月19日神田にて購入とある。 神保町の古書店を歩き回っていた頃が懐かしい。
2011年7月 「なでしこ ジャパン」
18日早朝、負けてもいいから、決勝まで駒を進め頑張っている 「なでしこジャパン」 を応援しようと、眠い目を擦りながらTVをつけた。 そんな日本の夜明けに奇跡が起きた。 「なでしこジャパン」がアメリカを破り、ワールドカップ女子サッカーの世界一に輝いた。
敗色濃厚の延長後半12分。 左から宮間が放ったライナー性のコーナーキックを沢が右足で押し込んだ。 何という奇跡だろう。 3度の決定的なピンチは、すべてゴールポストとクロスバーに救われ 「なでしこ」 は2度死んで、2度生き返った。 2:2 で延長を終え PK戦の末、過去3分け21敗、世界ランク1位の米国を初めて倒した。
各国のメディアも日本の粘り強さを伝えた。
ニューヨーク・タイムズ紙は「フクシマの年の日本の伝説」と評価し、USAトゥデー紙は「この勝利は地震と津波の被害から復興する国にプライドを与えた」と賞賛した。 試合中からツイッターに感想を投稿していたオバマ米大統領は決勝後、「日本、おめでとう」と勝利をたたえた。
中国国営の新華社通信も「日本の奇跡が世界を制した」と配信。日本チームの技術、精神面をほめた上で 「なでしこ」 の奇跡が、(東日本大震災による)地震と津波、放射能に苦しむ民族に、比類なき自信を与えるだろう」と絶賛した。
試合後には選手全員で大震災の復興支援に感謝する横断幕を掲げ場内を1周した。『なでしこジャパン』はワールドカップに優勝したというだけではない、世界中の人々に清々しい感動を与えてくれた。本当にありがとう。
2011年8月 「利尻島 礼文島」
夏と秋が かくれんぼ
も~いいか~い! ま~あだだよ~!
も~いいか~い! も~いいよ~!!
そんな夏と秋がせめぎ合う季節に、稚内からフェリーで2時間40分のところにある利尻・礼文島の旅に出た。 花の浮島と言われる礼文島のお花は、もう秋色に染まりかけていたけれど散策路の両側には島固有のツリガネニンジン、エゾノコギリソウ、キタノコギリソウ、トウゲブキ・・・・などなどが目を楽しませてくれた。
島の人口は3000人弱。 そんな島に信号機が2機ある。 本来は信号機も必要がない島だが、小学校が2校あるため、信号機を知らない子供たちが島を出た時に困らないよう、社会勉強のために設置しているのだという。 なんともほほえましい。
利尻島の中心には利尻山がそびえ、離れて見るとまるで山が海上に浮いているように見える1721mの利尻山は利尻富士とも呼ばれ、その存在感は圧倒的だ。 利尻島は礼文島と成り立ちが異なり火山によりできた島で、山の天候は目まぐるしく変わる。 雲に覆われたかと思うと次の瞬間 には薄日の中に現れたりするので 「アッツ!見えた!見えた!」と、つい子供の様にはしゃいでしまう。
利尻礼文サロベツ国立公園に指定されているこの一帯はハイキングコースも整備され、お天気が良ければ野鳥の声を聞きながらの森林浴も楽しい。
稚内空港に戻る前に宗谷岬を訪ねた。 岬から間宮海峡のかなたに臨むサハリンまでは43Kmでフルマラソンとほぼ同じ距離・・。 長い歴史を思うと、近いような遠いような複雑な気持ちになった。
この日は日差しも穏やかで爽やかな風が吹いていたが、北緯45度31分22秒の日本最北端の真冬はさぞ厳しいことだろう。
礼文島はひと夏に300種類もの花が咲くという。 次回は、レブンアツモリソウ、オオバナノエンレイソウクロユリなどが咲き競う6月に訪れてみたい。
2011年9月 「チェス」
読書の秋に、チェスについては全く何も知らない私が、偶然に「チェス」の本を続けて2冊読んだ。 一冊目は、小川洋子の「猫を抱いて象と泳ぐ」。 二冊目は、ツヴァイクによる「チェスの話」だ。
「猫を抱いて象と泳ぐ」
「盤上の詩人」といわれたロシアの至高の天才チェス棋士アリョーヒンの再来として「盤下の詩人」と呼ばれたリトル・アリョーヒンの物語。 リトル・アリョーヒンはチェス盤のからくり人形の中に潜みながら、チェスクラブの会員たちを相手に天才的な強さを発揮していく。 物語の中に登場する、子象の時にデパートの屋上に上げられたが大きくなりすぎ地上に降りられなくなった象のインディラ、猫のボーン、リトル・アリョーヒンの棋譜を記録する少女ミイラ・・などそれぞれが不思議なキャラクターを持つ。 リトル・アリョーヒンと国際マスターの称号を持つS氏との一局は、公にリトル・アリョーヒンの存在を記したもので「ビショップの奇跡」と呼ばれ、現在もチェス会館に保存されているという。 これは単なる物語ではなく実話の部分もあるのだが、それにしても不思議な物語だ。
「チェスの話」
1942年にオーストリアのユダヤ系作家ツヴァイクによって書かれた短編。
ナチスの圧政下、ホテルに軟禁されたオーストラリア貴族でもある弁護士のDr.Bはゲシュタポに逮捕されホテルに軟禁される。 外界と隔離されたホテルでの訊問と孤独の中、看守の外套のポケットに本が潜んでいるのを見つける。 やっとのことでその本を盗み出すが、それは想像もしていなかった「チェス」の手引書だった。 Dr.Bはチェス名人の150手の一手一手をたどり、記憶することを日々の慰めとしていたが、次第に自分相手に自分を敵としてと戦い続けるようになり、強迫観念に襲われ精神錯乱状態に陥っていく。医師によって釈放された後、ニューヨークからブエノスアイレス行きの船に乗り合わせたチェスの若き世界チャンピオンと船上で戦うようになる。
この物語はその船上から幕があく・・。 何もする事ができず時間の感覚も持てない無為の怖さと、一つ事に狂ったように没頭する恐さの心理状態を巧みに描いたもので、構成も素晴らしく、スクリーンを観ているような心に残る作品だった。
2011年10月 「タイの洪水」
タイの洪水被害が深刻さを増している。
洪水はあれよあれよという間に世界遺産の古都チェンマイを水没させ、チャオプラヤ川沿いに南に広がり、タイの政治・経済の中心地であるバンコクにも迫った。 その面積は日本列島の面積と同じぐらいまでに広がっている。
タイに暮らす日本人は35,000人を超えると言われ、「操業再開のめどが立たない」とする日本企業は日ごとに増え、被害を被っている日本の企業は20日現在で447社に上るという。
洪水の範囲は日本人の多く住む「スクンビット」地域からは10キロほど離れているが、友人が住むPatumvanや日本語を教えていたことのあるThung Maha Mek も地図上で見ると、蛇行するチャオプラヤ川に挟まれていて心配される。
昔、自動車のサスペンションを主体とする自動車部品メーカーのヨロズで、タイ語の通訳をしたことがある。 タイに工場を建設するためにタイ人の研修生を6人呼びたいが、通訳が一人しか見つからず、どうしてもあと一人通訳が必要なのでなんとか良い返事が欲しい懇願された。 日常会話が少し話せる程度の私ではとても引き受けられる話ではなかったが、日本に都市工学の勉強に来ていたタイの友人の助けを借り、引き受けることになった思い出の会社だ。
そのヨロズは1996年にバンコク東南部のラヨン県の工業団地に大きな工場とエンジニアリングシステムズという会社を進出させている。 首都の水没を回避するために水を東部に流す計画だという。 あの頃の皆の努力を思い出すと、なんとか無事に操業を続けてほしいと願わずにはいられない。
タイの国土は平らな土地であるため、一旦洪水になると水は徐々にしか引かない。 現場では軍や警察だけではなく人々が総出で土のうを積み、周囲に洪水の被害が広がらないよう対策を進めているが一刻も早く功を奏してほしいと願う毎日である。
2011年11月 「ブータン」
ブータンのワンチェク国王と王妃が15日から20日に新婚旅行を兼ねて来日したが、ニュースで知る若き国王の言葉に新鮮な驚きを感じた。
国会で日本との外交樹立25周年を迎えた記念の演説を行なった際、東日本大震災への追悼の気持ちと復興を目指す日本国民への祈りの言葉を述べた。 「われわれの物質的支援はつつましいものですが、友情、連帯、思いやりは心からの真実です」その言葉は温かく力強く、心の奥に響くものがあった。 震災翌日の12日には在ブータンの日本人を招いて犠牲者への祈りの式典を行ったことを知り、その優しい心に改めて感謝の手を合わせた。
福島県相馬市にある小学校を訪問し、子供たちと触れ合った時の言葉も印象深い。「皆さんは龍を知っていますか? 龍を見たことがありますか? 私は龍を見たことがあるのです」 TVに映し出される子供たちは身を乗り出し目を輝かせて国王の言葉を聞いている。 「龍は経験を食べながら成長するのです。 龍は一人ひとりの心の中にいるのです。 ですから、強い龍になりましょう」 私たちは未来を担う子供たちにこんな素敵なメッセージを伝えることができるだろうか。ブータンでは「国民総幸福量」に基づく国作りを提唱し、国民の幸福を憲法にも唱っている。国王は「雷龍の王」と呼ばれ、龍を国旗にしている。 来年は辰年、ブータンの未来に幸多かれと願う。