2020年1月 「夢の仕組み」

大晦日から元旦にかけて夢を見た。 初夢というのは元旦を過ぎてから見る夢とのことなのでこれは初夢ではないかもしれないが不思議な夢だった。

 

昔のテニス仲間3人がコートに集まっているので、久しぶりにプレーしようと歩きかけた時、別のグループの5人が素早くコートに入り、コートはまるでバレーボールでもするかのように人であふれてしまった。 1つのコートに8名はおかしい、どうやってプレーするのだろう。 テニスはあきらめ自宅に戻ろうと駅に行くと、そこはロンドンのはずれにあるローカルな駅、駅名すら分からない。 さてどうしたものかと、辺りを見渡すとタイ人のような南米人のような女性たちが駅前にお店を連ねている。 彼女たちは、にこにこと笑顔でとても親切だが 「実は自分たちもここがどこだか分からない」 というばかりである。 仕方なく何か手掛かりがないかと周りを歩いてみることにする。 すると突然場面が、ニューヨークの街を見渡せる公園に変わり、街の向こうに美しい夕焼けが現れる・・・。  この美しい夕焼けだけが総天然色のパノラマ!!だ!!  新年からのこの夢は何を暗示するのだろうか。

夢を見た後、ノーベル化学賞受賞の吉野彰さんの 「リチウムイオン電池が未来を拓く」 を読んだ。 リチウムイオン電池開発の苦労話に続き、長崎の大学学長から聞いた話として 「夢の仕組み」 夢見るメカニズムという文章があった。 

人間はコンピューターと同じにデフラグを行っている。 それは睡眠に入った瞬間に始まり生まれた時からのすべての記憶を呼び出し整理、再配列して、また記憶に戻している。 これを毎日1回やっている。 もちろん睡眠中なので、その時に呼び出された過去の記憶は意識領域には入ってこないのであるが、まれに呼び出された記憶の一部が意識領域に紛れ込んでくる。 この過去の記憶の一部が核となって作られた話が夢である。

脳を持っている生物にはすべて同じメカニズムが備わっているそうで、イヌもサルも夢を見るようである。 この夢の仕組みを解明した学者は将来的にノーベル医学賞を受けるといわれている。 

 

わたしが関心したのは、われわれが生まれたときからの記憶をすべて残しているという点である。 記憶はされるが、残念ながら自由にアクセスできないようになっている。 これは一種の脳の防御機能的なもので、たしかに生まれたときからの記憶に自由にアクセルできるようになると、多重人格症状から精神異常になってしまうだろう。この後に続く「超現代史のススメ」は先を読むことの難しさについて書かれていて興味深い。
ビジネスで先を読むための「超現代史」ではあるが具体的でわかりやすい。 

 

  1. 過去10年間に起こったことを時系列的に正確に把握する。
  2. 現在に至るまでの因果関係を正確に総括する。
  3. この先10年間に起こることを正確に洞察する

一生の出来事を思い出すのは困難だが、この10年間に起こったことぐらい自由にアクセスできるだろうということだ。 さて、わが身を振り返ると、昨日何をしたかはわかるが、1週間前何をしていたは怪しい。 忘れないために日記をつけているが、書くのを忘れているのが現実である。

2020年2月 「カミユ」

 2月22日、昨年よりの15日も早く関東地方に春一番が吹いたが、日本列島が新型コロナで揺れている。 新型コロナの拡大の中、共稼ぎの娘家族を心配しながら、アルベール・カミュの『ペスト』を再読した。


フランスの植民地だったアルジェリアの要港オランでペストが発生し、人々はパニックに陥る。 
外部と遮断された町でペストに直面した人々の様子や人間模様が描かれていて、真に迫るようだ。

このような不条理に対して人間が勝つためには 友情や愛を信じ、悪が繰り返すことを記憶に留め、敗北を後世に伝えていくことである。 この物語は次の言葉で終わっている。

「人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼び覚まし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを」

 

新型コロナはウイルスが変異したものと言われ、特効薬や予防薬がまだ開発されていないのがはがゆい。  検査体制も十分ではなく、日常生活に支障が出るのみならず経済への打撃も計り知れない。

梅の花が満開を迎え、今年は暖冬で桜の開花も早いという。
歴史は繰り返す。 過去に学び正しい判断を下し一刻も早くこの忌まわしいウィルスを終息できるように願っている。

2020年3月 「山中伸弥教授」

春うらら~ 窓の外は桜色だが、世界中は新型コロナウィルスに怯えている。
山中伸弥教授が 『ips細胞研究基金』 と 『新型コロナウィルスの情報発信のサイト』 を立ち上げたことが 『ニュースな科学』 に掲載されていた。 先生の著書は2冊しか読んでいないが、その行動力に感銘を受け、その生き方を羨望する。

私の周りのには、パーキンソン病、小児がん、筋ジストロフィー、そして原因不明の難病を抱える人たちが増えている。 病そのものも増加しているのだろうが、自分が年を重ねたことで周りの人の痛みや苦しみを身近に感じとれるようになったのかもしれない。

 

『ips細胞研究基金』
「国に頼らず寄付で頑張る」 の方針の下、再生医療製品の価格抑制と細胞提供継続を行う、山中先生のiPS財団が4月に始動する。  iPS再生医療 の安く早くが実現すれば、病に苦しむ人たちにとって希望の光になるだろう。

財団では、先端医療費が高騰する中 「良質な再生医療を安く早く患者に届けたい」 の思いで、再生医療を安価にするビジネスモデルを実現したいと考えているそうだ。  以下基金より

iPS細胞実用化までの長い道のりを走る弊所の教職員は、9割以上が非正規雇用です。
これは、研究所の財源のほとんどが期限付きであることによるものです。
2030年までの長期目標を掲げ、iPS細胞技術で多くの患者さんに貢献するべく、日々の研究・支援業務に打ち込んでいます。

寄付金のあて先は 「京都大学基金 ips細胞研究基金」 

 

『新型コロナウィルスの情報発信のサイト』 より

「新型コロナウイルス」 との闘いは短距離走ではありません。 1年は続く可能性のある長いマラソンです。 日本は2月末の安倍首相の号令により多くの国に先駆けてスタートダッシュを切りました。 しかし最近、急速にペースダウンしています。 このままでは、感染が一気に広がり、医療崩壊や社会混乱が生じる恐れがあります。 一人一人が、それぞれの家庭や仕事の状況に応じた最速ペースで走り続ける必要があります。 国民の賢い判断と行動が求められています。 この情報発信が、皆様の判断基準として少しでも役立つことを願っています。

『桜は来年も帰ってきます。人の命は帰ってきません』
「新型コロナウイルス」 はすぐそこにいるかもしれないと自覚することが大切です。 桜は来年も必ず帰ってきます。 もし人の命が奪われたら、二度と帰ってきません。

ウィルス関連のニュースが流れる中、リビングの窓越しの桜を愛で、ささやかなお花見を行った。  花見の翌日、関東地方は時ならぬ春の雪になった。

2020年4月 「スローライフ」 

テーブルでピンポン
コロナウィルス感染防止のために3月のお墓参りと5月、6月に予定していた旅行を中止した。
買い物に出る回数も極力減らし家に閉じこもりがちであるが、忘れかけていたテーブルピンポンを楽しんだ。  卓球とは言えないテーブルピンポンだが、テーブルに簡易ネットを挟み15分も打ち合っていると少し汗ばんできて、スポーツをやった気になる。 テーブルが小さく角が丸いので思うようにいかないのはご愛敬、お互いが続けようとしないと続かないという、当たり前のことを思い知らされる。

 

『バーミュキュラ』
新型コロナのニュースに明け暮れ心が寒々しい。 春なのに温かいものが食べたくなり、4月の誕生日に14㎝のバーミュキュラを購入してシチューやアヒージョを楽しんでいる。 料理を熱々のまま食べることができるのでレストラン気分を味わえる。 専用の鍋敷きは1枚3,500円と高額で、我が家にある鍋敷きで代用しようかと店の前を行きつ戻りつ・・・しばらく迷ったあげくに購入した。 鍋と敷台とは磁石で着脱できるようになっている優れものである。

『スモーク』
外出自粛のため時間があるので無水鍋を使い燻製を作った。 チップは春らしく桜を使い食料はチェダーチーズ、ゆで卵、鮭、ソーセージ、ベーコンなどであるが、食材の旨味がグレードアップする。 いぶすだけなので手間もかからないが、久しぶりに野趣あふれる味わいを楽しんだ。 コロナをきっかけに手抜きだった料理を見直すうちに、体重が増えてしまったのは困ったことだ。

 

『手作りマスク』
久々に使うミシンは調子が悪く、途中で針が2回も折れてしまった。 針が折れた原因は、布の厚さと針の太さがあっていなかったり、ボビンケースに糸くずがたまっていたためらしい。  視力の衰えを感じながらの作業で、肩こり解消に2日もかかってしまったが、孫や夫の分など25枚を作成した。

 

『物騒なニュース』 
24日の朝刊に『富士山降灰で「都市封鎖状態も」 政府被害想定、緊急車両3日間足止め』の見出しがあった。 以下、新聞記事より

富士山が江戸時代と同じような大噴火を起こすと、東京をはじめ首都圏の機能が長期間まひする危険がある。火山灰の影響で鉄道や道路などの交通、電気、水道といったインフラが停止。大地震以上の被害につながるかもしれないという指摘だ。

 

 0.5ミリで鉄道停止
火山灰が0.5ミリメートル積もるだけでレールの通電が不良になったり踏切が機能しなくなったりすると想定されている。直接は火山灰が積もらない地下鉄も地上路線との接続が多く、停電も起きると影響は避けられない。
道路が通行できなくなるのは晴天時で10センチメートル、条件の悪い降雨時で3センチメートルの降灰と想定する。まひするまでの時間は鉄道より長いが、富士山の噴火が心配されるのは、大量の火山灰がほぼ確実に首都圏に向かうからだ。日本上空には偏西風という強い西風が吹いていて、富士山が噴き出した火山灰は東へと流され首都圏に届く。特に西南西の風が続くと神奈川県から東京都心を中心に大量の火山灰が降ると予想される。
「現代の大都市が大規模な噴火の影響を受けた事例はまだない」と指摘する。世界有数の火山国だけに、日ごろから噴火に備えた体制づくりが求められている。

地震大国であり台風の通り道でもある日本、試練はいつまで続くのだろう。

2020年5月 「ボランティア」

 日本での新型コロナは恐れられていた感染爆発が抑えられ収まりつつあるように見えるが、その理由はどこにあるのだろうか。 京都大学の山中伸弥教授は、日本人に感染者や死亡者が少ない理由を、以下のように分析して「ファクターX」と名付けている。

・感染拡大の徹底的なクラスター対応の効果
・マスク着用や毎日の入浴などの高い衛生意識
・ハグや握手、大声での会話などが少ない生活文化
・日本人の遺伝的要因 ・BCG接種など、何らかの公衆衛生政策の影響
・2020年1月までの、何らかのウイルス感染の影響
・ウイルスの遺伝子変異の影響

25日には全国的に緊急事態宣言が解除されたが、本当に収束に向かっているのか、いつ第2波が来るのかなど落ち着かない日々が続いている。

 

図書の貸し出しと地域住民の交流を目的として作られた「図書室」は、マンションの集会室を借りてボランティアで運営している。 「図書室」は狭く、本の貸し借りはニューアーク方式の対面方式であるため3月から休館にしているが、3密を避けながら開館するための話し合いを続けている。

そんな中 【貸出管理システムをつくる】 という記事を見つけた。

 

 1.一切管理しない 京都市にあるGACCOO(ガッコー)という図書館など。

管理する手間を省き、借り手を信頼し、一切管理しない方法。
「借りたいときは」→「黙って持って帰れる」
「返したいときは」→「元の場所に置く」
「貸出期限と冊数は」→「適当」

特別なルールはなく、貸出期間もなければ冊数の制限もないけれどトラブルもないとのこと。

 

 2.ちょっとは管理する ゆるく管理する「ナガヤ図書館おとなり3」など。

机の上にノートを置き、借りた本のタイトルと自分の名前、連絡先を書いていく方法。
貸出期間は一人2週間3冊まで。
数年に1度、未返却の方に連絡を入れる。 未返却の本もあるが、気軽な気持ちで借りていったが、そのまま忘れてる場合や、期間をあまりにもすぎているので返しに行きずらいのが理由と推察し、深くは追跡しないということ。

 

 3.完全に管理する  ウェブサービスのリブライズを利用

ウェブサービスの利用料は無料。 住所と図書館名さえ記入すれば、誰でも、どこでも図書館が開設でき、蔵書も一律で管理ができる。
貸出する場合は、Facebookアカウントでしログインすると、IDのバーコードが表示される。 それをバーコードリーダーで読み取り、「貸し出す本」を読み込めば貸出が完成する。 返却する場合も、自動でモードを切り替わる。

・パソコン・インターネット接続・バーコードリーダーが必要で、部屋を開館時間だけ借りているボランティア団体にはハードルが高い。 また、子どもや高齢者はどうするかなどの問題もある。 ノート記入との併用も、かえって管理が難しくなるとのことだが、3密を避けるためなんとかデジタル化ができないか、考えさせられている。

 

以前のような日々には戻れず、ニューノーマルの時代になると言われるが 「ファクターX」 の要因が解明され、有効なワクチンが開発されることを願っている。    

2020年6月 「夢見る帝国図書館」

 新書ランキングの1位に出口治明の「還暦からの底力」が選ばれた。 どんな時代でも、生き抜くためには直感力と適応力が必要とあり、コロナ禍の不確かな世の中に勇気を与えてくれる一冊だ。

人生100年時代、あまり長生きはしたくないが与えられた人生、人に出会い、いろいろな本を読み、出来るだけ旅をしたい。 未だ知らぬ人・本・旅に出会うことは、これからの人生に彩を添えてくれるだろう。

中島京子の「夢見る帝国図書館」を読み、図書館の歴史に興味をひかれ、コロナ自粛の解除が緩和された24日、お茶の水にある昌平坂学問所跡と上野の国際こども図書館を訪れた。 

「夢見る帝国図書館」 一人の女性の生きざまと、帝国図書館の歴史が語られている。

作家である主人公が上野公園で偶然に知り合った喜和子さんから「帝国図書館が主人公の小説を書いてみない?」と問いかけられるところから物語は始まる。

 

     = 上野の国際こども図書館 =

 

日本初の国立図書館をめぐるエピソードは楽しい。 その図書館創設に永井荷風の父親や福沢諭吉が関わった話、擬人化された図書館から見る樋口一葉、建物に魅了された和辻哲郎、谷崎潤一郎、芥川龍之介や宮沢賢治の友人についてのエピソードも面白い。

図書館の歴史をたどる一方、戦後上野で子供時代を過ごした喜和子さんの謎の人生を紐解いていく。
生前、喜和子さんが探し続けていた「としょかんのこじ」をデジタル化された形で探し出すことができるが、それは喜和子さんが子供のころ一緒に住んでいた元復員兵の城内亮平によって書かれたものであることがわかる。

 

城内亮平から昔喜和子さんに送られた葉書には謎の数字が並んでいたが、謎の数字は図書の整理番号だとわかる。
870     690    430   010   280  240   730    850
イタリア語  通信   化学   図書館  伝記  アフリカ  版画  フランス語
図書館以外の頭の一文字をとると 「イツカ 図書館 デ アハフ」となる。

 

「帝国図書館の歴史」

帝国図書館は、1872年(明治5年)に 文部省によって湯島聖堂内に設置された日本初の近代図書館書籍館(しょじゃくかん)を前身としている。 

「書籍館」は1875年に「東京書籍館」、1877年に「東京府書籍館」、1880年には「東京図書館」と名前を変える。 1890年、東京図書館の館長に就任した田中稲城は、欧米への視察経験から本格的な国立図書館の必要を認識して1897年帝国図書館を設立する。

1923年の関東大震災での損傷は軽微で済み、太平洋戦争中は空襲の被害を免れて、大正から昭和初期の動乱を生き延びる。 太平洋戦争中には、貴重書の疎開などを行いながら、終戦まで開館を続けることができる。 戦後の1947年12月、帝国図書館の名称は時代に適合しなくなり国立図書館と改称される。

 

1948年には米国の議会図書館を模範として国立国会図書館が設置され、国立図書館はその機能を国立国会図書館に統合された。1949年に国立国会図書館と組織上統合されて国立国会図書館支部上野図書館となった。

旧帝国図書館蔵書の大半は1961年に新築となった永田町の国立国会図書館東京本館に移されるが、上野図書館は、国会図書館の分館として現在も国際子ども図書館として存続している。日本内外の児童書および児童書に関わる文献の収集・保存・提供をはじめとして、児童書関連の図書館サービスの日本における中枢および国際的な拠点となっている。

 

この日訪れた昌平坂学問所はコロナの影響で、内部の見学はできず、国際こども図書館も昔の面影を留める「レンガ棟」に入ることはかなわなかったが、かつてこの場所に文豪たちが通っていたことを思い描きながら上野を後にした。

2020年7月 「雨に唄えば」

 九州地方などに大きな被害をもたらした「令和2年7月豪雨」は、線状降水帯と言われる切れ間なく発生する積乱雲が原因になっている。熊本や北九州を中心とした地域を襲った豪雨は、日本が自然災害の多い国だと改めて思い知らされる。多くの河川が「氾濫危険水位」を超え被害をもたらし、コロナ下での避難を余儀なくされた方も多い。

 

子どものころは雨が好きで、お気に入りの赤い傘をさすと、その下の小さな空間が自分だけのものになった気がしてワクワクしたものだ。しかし、最近の降り方は異常だ。小ぬか雨のような風情のあるものではなく、熱帯雨林に降るような驟雨が各地で土砂災害や堤防決壊の被害を起こしている。

 

母の形見として、母が好きだったモネのスイレンの傘を譲り受けた。モネらしい緑が鮮やかな傘は、雨の日の憂鬱な気分を明るくしてくれる。

 

コロナ下の自粛中、1952年のアメリカのミュージカル映画「雨に唄えば」を観た。ジーン・ケリーが降りしきる雨の中で傘を振り回しながら踊るタップダンスは今見ても楽しく、軽やかなダンスと土砂降りの雨とのコントラストが際立ち、こんな雨もあるのかと思った。

新聞に「雨を楽しむ こんな日曜日が待ち遠しい。」という全面広告が出ていた。ポップな赤い傘の写真には『Singing In The Rain』と添えてあった。『日本では雨をうたった歌が多いように、昔から雨を楽しむ知恵が豊かだったという。雨を厄介者扱いせずに親しみながら共に生きようとする、そんな考え方が再び見直されてもいる。』と書かれている。

 

近年の梅雨末期の豪雨は、広範囲に及び氾濫危険水位を超えた河川数は5年間で5倍に増加している。この風土に暮らす人々の知恵が問われている。

2020年8月 「すきな曲」

 あるセミナーで「相手をよく知るためにはどのように話しかければよいか」という話し合いがもたれた。相手が自分自身のことを話しやすいように「あなたの一番好きな曲は何ですか。一番好きな食べ物は何ですか。」など相手の好きなことを問いかけるのがよいという。確かに人は好きなことを問われれば、自分のことを伝えたくなるのが自然だろう。 

 

一人ずつ質問者と返答者を交代しながら進行しているうちに、自分が一番好きな曲は何だろうかと考えた。ティータイムでの話題ならば、いきものがたりの「エール」やこぶくろの「蕾」と言うところだが、生涯での一曲といわれると考えこみ、シベリウスの「フィンランディア」と答えた。この曲は「安かれわが心よ」として讃美歌にも入っている。 クリスチャンでもない私だが、解決のつかない問題にぶつかったときや心穏やかになりたいときに浮かんでくる曲である。音楽は人間が作りだしたものなのに、人知を超えた力があり、人を慰めたり勇気づけたりしてくれる。

 

やすかれ、わがこころよ、    
主イェスはともにいます。        
いたみも苦しみも           
しずかに忍び耐えよ。
主イェスのともにませば、       
耐ええぬ悩みはなし。

やすかれ、わがこころよ、
なみかぜ猛るときも、
恐れも悲しみをも
みむねにすべて委ねん。
み手もてみちびきたもう
のぞみの岸はちかし。

 

先日、BSで「戦場のピアニスト」の再放送を観た。 ナチスドイツ侵攻下のポーランドで生きた実在のユダヤ人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの自伝を映画化したもので、劇中でシュピルマンが演奏するピアノ曲は、ショパンの作品のみである。

1939年、ナチスドイツがポーランドに侵攻。ワルシャワの放送局で演奏していたピアニストのシュピルマンは、ユダヤ人としてゲットーに移住させられる。やがて何十万ものユダヤ人が強制収容所送りとなる中、奇跡的に難を逃れたシュピルマンだが、ついに一人のドイツ人将校に見つかってしまう。

 

映画の冒頭のラジオ局が爆撃されるシーンと戦後に再開されたラジオ局で演奏されているのはショパンの哀愁を帯びた「ノクターン第20番嬰ハ短調」であり、終盤のドイツ将校ドイツ軍兵士、ホーゼンフェルト大尉が弾くのはベートーヴェンの「月光」である。エンディングでの演奏は、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 作品22 が、ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団、ヤーヌシュ・オレイニチャク(ピアノ)によって演奏され感動を誘う。音楽の持つ力はすごいと改めて思う。


今年10月にワルシャワで開催される予定だった第18回ショパン国際ピアノコンクールがコロナの影響で来年に延期されたが、来年はコンクールを聴きにポーランドに行く予定である。 残暑の残る中、ポーランドの歴史を思い、コロナの収束を願う日々である。

2020年9月 「チコちゃんに叱られる」

 小学3年生の孫が算数の宿題をしながら「私はお金持ちになりたい。 ふーちゃんはお金持ち?」と聞いてきた。  「算数のお勉強をすれば計算が得意になって、お金持ちになれるんじゃないの?」とその場しのぎの返事をしたが、先日、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」で「なんで数学を勉強するの?」というクイズをやっていた。

 

回答者で東大先端科学技術研究センターの西成活裕教授が「それは、理論的な思考が身につくからです」と答え、その理由として、日常生活では無意識に一次方程式、因数分解、三角関数を使用している、と具体例をあげて説明していた。 以前、「とんでもなく役に立つ数学」を楽しく読んだ。数学は幅広く奥深いと思っていたが、今日の朝刊にも同教授の「数学のススメ」という記事が掲載されていた。

 

理論がしっかりしていないと話が相手に伝わらない、環境問題を考えるにもデジタル化の今こそ数学が必要とのことである。難しいことは分からないが、進化する世の中に追いついていきたいとの思いはある。そこで、孫が中学生になったら一緒に学ぼうと、web上の中学数学ドリルを始めた。ところが、いざ始めてみると簡単な問題にもケアレスミスが多く、こんなところでつまずいてはいけない、こんなはずではないと焦ってしまう。世の中についていくところまではいかないが、回数を重ねる内にミスが少なくなってきた。脳トレには最適である。

 

数学ではないが、学報が送られてくる度に考えさせられることがある。母校の本館正面の壁に刻まれたラテン語による“QUAECUNQUE SUNT VERA”「凡そ真なること」の意義だ。 毎日を怠惰に過ごしながら、ふとした折にこの言葉を思い出し反省しているが、残念なことに反省は長く続かない。

 

三日坊主でチコちゃんに叱られないように、さあ、数学ドリルを始めよう。

2020年10月 「白馬」

 10月の中旬、紅葉を求めて長野県の白馬に出かけた。白馬村、なんと懐かしい響きだろう。 高校時代、林間学校や部活の仲間と何度か訪れたことがある。山小屋では水が貴重なことを繰り返し教えられ、歯磨きにも気を使った。唐松岳までの登山では高山植物のチングルマ、ワタスゲ、イワカガミなど可憐な花に癒され、八方池では北アルプスの絶景を眺め、池に生息するオオサンショウウオや雪渓近くでは雷鳥に遭遇した。現在は途中迄が自然研究路とされ木道が整備されている。滑りやすい蛇紋岩に注意しながら山頂まで登ったのは遠い昔の話である。

 

学生時代には白馬大池の学生村で友人と過ごしたのも楽しい思い出だ。その後は車で移動することが多くなり、白馬まで足を延ばすことがなってしまった。 今回は特急「あずさ」で旅をした。新幹線以外の長距離電車は久しぶりだが、快適すぎて昔の「あずさ」の面影はどこにもない。大糸線も2両編成で日中の運行本数は極端に少なく、過疎化に加えて今年はコロナの影響も深刻だ。例年は日本人よりも外国人観光客でにぎわうというが、外国人には殆ど出会うことがなかった。

 

予定では栂池高原の紅葉ハイキングだったが、栂池の紅葉はすでに終わり八方尾根の方が楽しめると聞き、八方尾根に出かけることにした。残念ながら当日の天気は小雨、天候が悪化したらすぐ引き返すという条件で出かけたが、白馬山麓のゴンドラ乗り場で山岳ガイドの下田さんに声を掛けていただき、山歩きに同行していただくことになった。

 

下田さんから「お菓子類は持っているか。手袋はあるか」と聞かれたが、登山をするつもりではなかったので、トレッキングシューズに100均のレインコートしか持ち合わせていない。ゴンドラ乗り場で軍手を売っていたので急遽購入した。それでも「わかりました。八方池まで行ければいいが、こんな天候だから様子を見ながら行けるところまで行ってみましょう」と言われ、いざ出発。

 

八方駅からうさぎ平テラスまではゴンドラに乗車。雲の切れ間から山々や山麓の村々が顔をのぞかせ、足元に過ぎ去る紅葉が美しい。ゴンドラを降りアルペンクワッドリフトとグラートクワッドリフトを乗り継ぎ、いざ八方池を目指す。リフトに乗る時は「ナップザックを前に抱える様に持つように」と教えられた。リフトのバーを下げるので「なるほど」である。リフトを降り歩き始めると、ハイマツ群が出迎えてくれる。 しだいに小雨が小雪に代わりシャーベット状の雪が積もり始め木道が滑りやすくなったため、八方池までは行かず第二ケルンで引き返した。 今年は、ラニーニャ現象の発生で昨年よりも早い初冠雪だったとのこと。こんな天候の中、貴重な経験が出来たのはガイドの下田さんのお陰で、感謝である。

 

翌日は晴天、長野オリンピックのジャンプ競技が行われた白馬ジャンプ台まで散策した。 ラージヒル団体で日本の金メダルが確定した瞬間に、原田選手が舟木選手に駆け寄り「ふなき~!!ふなき~!!」と叫んだ場面が忘れられない。そのジャンプ台で選手たちが次々とジャンプの練習をし、青空にはハンググライダーが気持ちよさそうに飛び交っていた。


一週間後のニュースで、高梨沙羅選手が白馬で行われたノルディックスキーの全日本選手権ジャンプで最長不倒の94.5メートルを飛び4連覇したと知った。 あの時練習していた選手たちの中に沙羅選手もいたのかと思うと何だかうれしい。 次は下田さんが経営するペンション ミンティーに泊まり、今回訪れなかった栂池高原や昔の学生村周辺を訪ねてみたい。

2020年11月 「東京バレー団 M」

 『パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、ベルリン・ドイツ・オペラ、ハンブルク歌劇場など、東京バレエ団の海外公演において披露され喝采を浴びた傑作が、三島の没後50年を記念して、神奈川県民ホールでは初めて上演されます。どうぞご期待ください。』という新聞広告に惹かれてチケットを購入した。

 

三島の作品はそれほど多くは読んでいない。その文体に驚くほどの鬼才を感じながらも、思想やその最後に違和感を持つからだ。 それでも広告を見た途端、ひどく興味をそそられた。

 

1993年、振付師のモーリス・ベジャールは“日本”をテーマにしたバレエを東京バレエ団のために創作し、 日本というテーマに三島を選び、彼の人生・文学・思想・美学をまるごと一つの舞台に作り上げた。 「M」とはモーリス・ベジャール、三島由紀夫、そして音楽を担当した黛敏郎の3つのMである。

 

舞台の幕が開き、波の音(潮騒)が流れ読経のような声が響く・・・この瞬間から舞台に引き込まれた。物語は、少年時代の三島とイチ、ニ、サン、シという4人の三島の分身によって展開されていく。物語が進むにつれて4人目は「死」であることが分かってくる。

 

琴や鼓など日本の伝統楽器が能や歌舞伎のように舞台を彩っていく。物語は、「鏡子の家」「鹿鳴館」「金閣寺」“聖セバスチャン”そして「憂国」へと向かって進んでいく。舞台の中央に坐する少年が死を暗示するかのように扇を開き、圧倒的な数の桜が舞い落ち、その美しい桜に重なるようにワーグナーの「愛の死」が響き渡る。そして最後の静寂、輪廻転生のごとく「海」のシーンへと回帰する。

 

モーリス・ベジャールの圧倒な振付に息をのむ。

2020年12月 「今年」

 今年はコロナで明け暮れ、気のふさぐような毎日が続いたが、私のベストニュース第1位は「はやぶさ2」の快挙だ。 小惑星探査機「はやぶさ2」が52億キロメートルの彼方のりゅうぐうに到着し、6年間に及ぶ宇宙の旅から持ち帰ったカプセルは、6日未明にオーストラリア南部の砂漠で回収された。初代「はやぶさ」に続き、天体から物質を持ち帰るという「サンプルリターン」に成功したのは、本当に嬉しいニュースだ。

 

今回の探査では、小惑星に人工クレーターを作るなど「7つの世界初」を達成したという。

  1. 1. 人工クレーターの作成
  2. 2. 小型ロボットによる小天体(小惑星など)の移動探査
  3. 3. 複数の探査ロボットの小天体へ投下
  4. 4. 同じ小天体への2地点着陸
  5. 5. 誤差60センチという極めて高い精度が要求される地点への着陸成功
  6. 6. 地球圏外天体の内部調査
  7. 7. 最小で複数の小天体を周回する人工衛星の実現

 

2019年2月の1回目の着陸で採取した砂は、りゅうぐうの見た目と同じ黒い色で、数ミリメートルサイズの粒子が多くみられた。 7月の2回目は小惑星に人工的につくったクレーターの近くに着陸し、世界で初めて月以外の天体から地中の試料を採取した。カプセル内には1センチメートルほどの小石を含む多数の黒い粒子が入っていた。JAXAでは2021年6月から採取した砂のカタログ作りを始め、詳細な分析を行う。日本の先進的な技術力とあきらめない研究者魂を誇りに思う。太陽系の成り立ちを探る貴重な手がかりを得た今、この快挙でコロナ禍を吹き飛ばしてほしい。

 

ベストニュースの第2位は、2020年日経広告賞最優秀賞になった「時の記念日のセイコーの広告」

 『時はあなたが刻む。』

  時間とは追われるものではない。
  一人ひとりの中にあり、
  一人ひとりが刻むもの。
  この先どうなるか、まだまだ
  わからないけれど。
  どうかすべての人が、自分自身の、
  かけがえのない時間を過ごせますように。

  コロナが一日も早く終息し安寧な日常
  が訪れますように。

世界中の人々の願いである。