2021年1月 「薪能」

1月20日、アメリカ第46代大統領の就任式が、世界注視のなかで執り行われた。バイデン大統領の就任は、今年の世界10大不安要素の第一位に挙げられるほど、荒波の中での船出となったが、選挙中の異様な光景はいったん静まったようだ。

 

就任式で、黒人女性で詩人のアマンダ・ゴーマンさんが「光はいつもそこにある。私たちがその光になろうとする勇気を持てば」を朗読したのを聴き、副大統領のハリスさんら参加した女性の多くが民主党の青と共和党の赤を合わせた紫のコートをまとっているのを見て、険しい道のりの中にも一条の光を感じた。

 

一方、コロナ下の日本でも日々の自粛生活が続いているが、その中でも嬉しいことがあった。一度は観たいと思っていた鎌倉宮の薪能が、無観客ながらオンライン配信され、厳かな薪能神事を画面越しながら観ることができたのだ。

 

演目 : 素謡 「翁」  金春 憲和 金春81世宗家
     仕舞 「羽衣」 金春 安明 金春80世宗家
        「鍾馗」 山井 綱雄 金春流能楽師


神事への参加者が手を清め、宮司による修祓、幕の中に入り宮司による献饌、祝詞奏上、玉串拝礼と続き、いよいよ薪能が始まる。闇の中に浮かぶ舞台は神聖である。

 

「翁」素謡 81世宗家 装束は裃 金春憲和    コロナ下であり素謡で囃子、舞がなく謡曲だけが演じられた。
演目の「翁」は、能にして能にあらず、他の曲と一線を画し、神聖視されている。天下泰平、国土安寧などを願う祝福に満ちた謡である。現在では正月の初会や舞台披きなどの特別な催しでしか演じられないという。

 

「羽衣」仕舞 80世前宗家 金春安明    能の一部を面、装束をつけず略式で最後のシーンのみが演じられた。
静岡の三保の松原を舞台にした天女伝説をもとに作られた、幸を祈念する謡である。
三保の浦で海に漕ぎ出していた漁師の白龍たちは、春になった美しい三保の松原の景色を嘆賞しつつ、その三保の松原に戻ってくる。すると虚空より花が降り音楽が聞こえ妙なる香りが立ちこめる。これはただ事ではないと思っていると、松に美しい衣がかかっている。白龍はその衣を手に取って持ち帰ろうとしたが、天女が現れ、それは私の衣ですので返してほしいと告げる。天女は衣が無ければ飛ぶ事もできず、天上に帰る事ができないので、そういわずに返してほしいと言う。天女は、三保の松原の春景色が天上界のようであるといい、その美しさを讃え、「君が代は天の羽衣まれに来て撫づとも尽きぬ巌ならなむ」と詠まれた歌のようだと歌い舞っていると、それに合わせて、笙、笛、琴の音なども聞こえてくる。その舞姿は、雪が舞うような美しさであった。そうやって、東遊びの舞の曲を次々と舞い、国土の繁栄を祈念し、様々な宝物を降らし国土に恵みを施しながら、十五夜の空に輝く満月のようになって富士山の高嶺に昇ってゆき、天空の霞の中に姿を消してゆく。

 

「鍾馗」仕舞 金春流楽師 山井綱雄
中国の大臣で鍾馗は魔除け疫病払いの神様。邪悪なものを払うご利益がある。
鍾 馗(しょう き)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神。日本では、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりする。また、鍾馗の図像は魔よけの効験があるとされ、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりする。
鍾馗の図像は必ず長い髭を蓄え、中国の官人の衣装を着て剣を持ち、大きな眼で何かを睨みつけている姿である。

 

無駄をそぎ落とした舞、静寂の中に朗々と響く謡に一時浮世を忘れることができたが、この一年の無事を祈らずにはいられない。

2021年2月 「全豪オープンテニス」

2月8日から開催された全豪オープンテニスは、4か月間の徹底的なロックダウンで安全性を確保しながら行われた、オーストラリアの一大イベントだ。予選会を中東で行い、100か国以上の1000人を受け入17機のチャーター機が用意された。大会期間中、空港近くのホテルで感染者が出たため5日間は無観客試合になったが、準決勝からは再び観客を入れ大会は無事終了した。

 

周到な準備にも関わらず、大会開催までの道のりは厳しいものだった。主催者が用意したチャーター便でメルボルン入りした選手や関係者から複数の陽性者が出て大混乱に陥ったのは、1月18日のことだ。 米国や中東からのチャーター機に同乗した70人以上の選手は、2週間に渡りホテルの部屋からの外出を禁じられた。その中には錦織圭やダニエル太郎も含まれており、缶詰め状態の中でトレーニングする姿が映像で流れ、準備不足が心配された。錦織選手は、「座ることが多いと腰が痛くなるので、立ってご飯を食べたり、部屋の中を歩いたりしている」と話している。

 

今大会では、密になるリスクを避けるため1コートに最大9人いた線審をなくし、エレクトリックラインコールが試された。 「ホークアイ」と呼ばれるシステムを使った初めての試みだが、大坂選手は「チャレンジするべきかどうか、または判定が正しかったかどうか気にせずに済む」と話している。試合もスムーズに運んだように思われ、これからもこのシステムの導入が進むことだろう。


準決勝からは再び観客を入れ試合が行われたが、やはり観客の入ったコートの臨場感は違う。さあ、大坂なおみの再登場だ!!
【18日 準決勝】 S.ウィリアムズ 3-6,4-6 大坂 なおみ
S.ウィリアムズ は試合後「敗因は分からない。ただただミスを止められなかった」と、涙で語ったがやはり新旧女王の勢いは違った。
【20日 決勝】  J.ブレイディ  4-6,3-6  大坂 なおみ
「ハードコート女王の誕生だ!」と世界が称賛した。 2年ぶり2度目の快挙で、大会後の最新世界ランキングでは2位に復帰した。

 

勝利者インタビューでの大坂の話 「私のチームに感謝したい。隔離生活でも協力して支えてくれた。チームは家族同然。このトロフィーはみんなのもの。また四大大会で優勝できて、最高の経験になった」。 ブレイディの話 「大坂がしていることは素晴らしいこと。若い女の子たちはこれを見て勇気をもらっていることでしょう。四大大会決勝を戦えたのは特別だが、私の日ではなかった。またここに立てるようにしたい」。 このコロナ下での大坂なおみの2度目の全豪制覇は、世界中の人々の記憶に残るだろう。

 

初日の観戦者数17,922人から始まった全豪だったが、紆余曲折を経ながらも成功裏に終えることができた。 全豪オープンに出場した選手は約500人。東京五輪では、206カ国・地域から1万1000人規模の選手が想定されている。東京五輪まではあと146日、パラリンピックまでは178日となった。開催を不安視する声が多い中、どう乗り越えていくのだろうか。 全豪主催者は「今大会の成功が、オリンピックも開催できるという希望につながってほしい」とのコメントを出している。

自粛生活が続く中、スポーツから勇気や希望をもらっている人は多い。 来年の全豪オープンは是非現地で応援したい。

2021年3月 「ゆく川の

1つだけ願いが叶うとすれば、何を願うかという話になった。「死が訪れたとき脳波を電子信号に変え、時空を飛び越えて宇宙の始まりを見てみたい」とマンガのようなことを言った。そんな時に杉山 直の「宇宙の始まりに何が起きたか」と久保寺順子の「いのちをきざむ元素たち」を読み、宇宙と人体の不思議を思った。

 

杉山 直「宇宙の始まりに何が起きたか」より

宇宙に多く存在する元素の起源の謎について「元素はどこから来たのだろうかという問いはかつて人類にとっての大きな謎であったが、今では科学がその答えを解明しはじめている。地球上に見られる物質は、分解していくとすべて原子という最小単位に行きつく」と元素の話から始まり、宇宙マイクロ波背景放射によって宇宙の秘密がどのように明かされてきたのか、が語られていく。

 

久保寺順子「いのちをきざむ元素たち」(1992年)より

「いのち」は、よくローソクの炎に例えられる。燃え続けるローソクは決して同じではないのだが、一見同じように見える。しかし、ある任意の一瞬に炎を作り上げている物質は、次の瞬間には消えてしまい、新しい物質に置き換えられている。この科学的に活発な、煌々と輝く炎の中心部に存在しているものは、物質(モノ)ではなくその形(コト=状態)である。 生命とそれ自体も、はるかに複雑ではあるが、ろうそくの炎と同じような状態で存続していくのである。このようなわけで、「いきている」ということが、ローソクの炎を「形」として見ていることと同じであると言われるのである。

 1.「人間という構造体」 

 人間は、細胞組織の集合体である。 脳は、まことに優れた人間の総司令本部である。

 2.「からだの素材」

 人間の体も、元をただせば、たった29種類の元素からできている。 

 3.「原子の仕組み」

 原子は原子核と電子で組み立てられている。人体(生命の本質)の材料は、29種類の元素で、 アズキ粒の20億分の1ほどの実質体積しかない。

 4.「生命と元素」

 元素からなる地球、そして私たちの命を刻む元素たちの連携した営みは、明らかに元素の軌道原子たちによってなされているのである。人体の構造と働きを解き明かすには、からだはあまりにも神秘的で、畏敬の念すら感じるほどである。広大な空間に無数の星をちりばめた宇宙と、原子核と軌道電子を点在させている人体との間には、どこか共通するものが感じられないだろうか。

 

新型コロナの試練を受け世の中が混乱している中、鴨長明の随筆「方丈記」の冒頭の文が浮かんでくる。

『ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。』

 

鴨長明が生きた鎌倉時代は、災害が多発した。世の中の形あるものは壊れ、永続するものは存在しないことを知り、長明は「無常」という境地に辿りついた。「変わらないように見えても変化しないものなどなく、すべては常に変化していて、やがて滅んでいく」というのが仏教の無常観である。

 

コロナという禍もまたしかり。宇宙の中で人の命を考えると、今日を限りにこの世から消え去っても、自然の営みは明日も変わらない。この瞬間に自分が存在していることは、なんだか不思議な奇跡の物語だ。

2021年4月 「April Dream」

コロナ禍では楽しみにしている鎌倉散策にも出かけられず寂しく思う毎日だが、2度にわたって掲載された「April Dream」の新聞広告に勇気をもらった。

 

【第一弾 ウソはよくない。】 ウソつきをヒーローにしよう。
今年の4月1日。April Foolに夢を発信してみませんか。ウソをついてみんなを驚かせて、楽しくなるのもいい。でも。ちょっと不安に包まれそうな今だから。できるなら、夢を発信するヒーローになって、みんなを驚かせて、そして小さな希望をつくってみませんか。たとえば、夢を声に出して、文字にしてみたら、「やってみれば」と、応援してくれる人がいるかもしれない。その夢に勇気をもらう人がいるかもしれない。日本で一番ウソつきが多い日を、日本で一番夢を語るヒーローが多い日にできたら、明日が、そう、未来がもっと叶えたいことでいっぱいになれる。

 

【第二弾 ユメが、いい。】 4月1日。 日本中のウソつきよ、ヒーローになろう。
今日。April Foolに夢を発信するヒーローになってみませんか。ウソでみんなを驚かせるんじゃなく、夢でみんなを驚かせて、小さな希望をつくってみませんか。ちょっと不安に包まれそうな今だけど。だからこそ。夢を声に出して、文字にしてみる。その夢に勇気をもらう人がいるかもしれない。その夢で明るい顔がひとつ増えるかもしれない。今日、生まれたたくさんの夢で、たくさんの叶えたい未来をつくっていこう。もう、ウソをついてしまった人でも大丈夫。さぁ、今すぐ夢を!男の人も、女の人も、子どもも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、みーんな。ヒーローになってください!


「April Dream」は、4月1日に夢を発信していくプロジェクトで、「小さなお子さんから、おじいちゃん、おばあちゃんまで!そして、企業も! みーんなで夢を発信しましょう。」というメッセージ広告である。 残念ながら語れるほどの夢を持っていないが、この広告を読んでワクワク楽しくなった。

 

私の誕生日は、戸籍上4月1日。でも、本当に生れたのは3月28日らしい。 出産間近母が風邪をひき、咳による腹圧のためか予定日より1週間ほど早く生まれてしまった。せっかちなのはそのせいかと言われるが、私が早く生まれたかったわけではない。体重が標準よりも少なく、早生まれで学年の最後に加わるのは可哀そうとの親心から、4月1日に出生届を出したというが、何のことはない4月1日生まれは学年の最後である。なぜ4月1日生まれが早生まれとなるのか不思議だが、1月1日〜4月1日を早生まれと呼ぶのは「数え年」に起因しているとのことで、「生まれた年を1歳」とし、元旦(1月1日)を迎えるごとに1歳ずつ年を重ねる数え方に由来するのだそうだ。

 

誕生日が「嘘をついてもいい日」であることにずっと違和感を覚えていたが、4月1日が「夢を語る日」だなんて、なんて素敵なことだろう。 エイプリルフールの話題もフェイクニュース以外ではあまり聞かなくなったが、中学時代1度だけまんまと引っかかったことがある。ピアノの得意な友人が、「ピアノ推薦でイタリアへの留学が決まった」と嬉しそうに電話をかけてきたことがあり、彼女ならさもありなんと何の疑いもなく信じてしまった。 嬉しい驚きを家族にも話している最中「ほんとうに、本当だと思った?」と電話があり、本当だったらどんなによかっただろうとひどくがっかりしたことがある。

 

わたしの夢=希望の持てる未来になること
子どものころは、どうぞ夢が叶いますようにと神頼みをしていたが、夢は神頼みでは叶わないことが分かってきたのはいつごろからだろうか。年を経るにつれ、個人の力では解決のつかない問題が増えてきたように思う。最近は、初詣の神社でも、旅先の教会でも、先祖の墓前でも具体的な願いではなく「皆それぞれが、置かれた場所で心穏やかな日々を送れますように」と祈っている。病で苦しんでいる人や国の争いごとなどで自由を奪われている人々にも、ただ祈ることしかできない。今は、コロナが収束し希望の持てる未来になりますようにと祈るばかりである。

 

複数回見たことのある夢

子どものころ 孫悟空のように金弴雲に乗っている夢 運気上昇?
20歳のころ 青い鳥の夢 幸せはすぐ近くにある
娘の結婚式の日 夕暮れの街並みに2本の虹がかかる夢 虹は吉兆
最近  仲間とテニスをしようとしている夢 辞めたことを納得していない?


2021年5月 「ジヴェルニー」

『ジヴェルニーの食卓』
原田マハが描いた印象派の画家達にまつわる4編の短編集を楽しく読んだ。

4編目の「ジュベルニーの食卓」は、モネの「睡蓮」制作にまつわる家族の物語だ。モネが43年間を過ごしたノルマンディー地方ジヴェルニーを訪ねたのは、7年前の秋である。池にかかる緑の太鼓橋や竹林にモネの日本への想いを感じ、蓮池を中心とした美しい楽園はモネ自身によって設計された庭園だと知った。この本を読んで、当時の感動が静かによみがえってくる。

 

第1編「美しい墓」 アンリ・マティス
マグノリア(「マグノリアのある静物」に描かれるモクレン科の木)のマリアと呼ばれた、画家になれなかった娘の物語。マグノリアの花はマリアからマティスに渡され、マティスの死後、ピカソを経て、ヴァンスのロザリオ礼拝堂に手向けられる。

 

第2編「エトワール」 エドガー・ドガ
エドガー・ドガとメアリー・カサット、「踊り子」のモデルのエピソード。

 

第3編「タンギー爺さん」 ポール・セザンヌ
画材商で画商だったタンギー爺さんの娘からポール・セザンヌに当てた書簡形式の物語。
パリで画材屋兼画商を営んでいたタンギーは、まだ世間に認められていない貧しい芸術家たちを助け、絵画で画材代の支払いをすることを認めていた。そんなタンギーの店には、ゴッホを始め印象派やポスト印象派の無名画家が多く出入りしていた。

 

第4編「ジヴェルニーの食卓」 クロード・モネ
モネと弟子でもあった義理の娘のブランシュが過ごしたジヴェルニーの日々。睡蓮制作に関わった出来事やお気に入りの美しい庭園、美食家だったモネの食卓の物語。

 

『アトリエの描写』
 壁三面には横3~4メートルもあるカンバスを複数枚連ねて描かれた作品が二点設置されていた。一つの作品は、真昼の池。鏡のように青く澄みえわたり、さかさまの白い雲を映して静かに呼吸しているかのようだ。もうひとつは、二本のしだれ柳が並ぶ池のほとり。ごくささやかな風が、長く伸びた柳の枝葉を揺らして、いましも通り過ぎていくようだ。睡蓮の花々も、微風を受けようと可憐な白い顔をあげている。湿気を帯びた柔らかな空気と水のにおい。漣の上でぴちぴちとはねる光。遠く草原を渡って、たったいまこの池にたどりついた六月の風。

 

『庭の描写』
 庭への愛に満ち溢れている。庭に続く緑色に塗られた階段を一歩一歩、ユックリと下りて、モネは、生涯をかけて愛情を注いだ庭の全景を眺めた。できるだけ自然に近い形で、自由に、生き生きと草木を茂らせる。それがモネの庭づくりの方針だった。

庭には花らしい花がいまはまだなく、ひっそりと静まり返っていた。小径の両側には、やがて本格的に春が来たら、そして夏になればなおのこと、さまざまな花々が咲き乱れる。ヒナゲシ、キンレンカ、スイトピー、ルピナス、ボタン、リンドウ、中―リップ、シオン、クレマチス、ダリア、ツルバラ。そして、この庭の向こう側の敷地にも、もうひとつのすばらしい庭が、息を潜めて主の来訪を待っている。それは、睡蓮が群れて咲く、太鼓橋がかかった池のある「水の庭」だった。

 

モネが丹精込めて作り上げた庭園は、今も庭師たちがその美しさを保っている。母屋は、モネが住んでいた当時の内装がそのまま残されていて、黄色い壁が印象的な食堂には、喜多川歌麿や葛飾北斎の浮世絵コレクションが飾られている。


雑誌「印象派の画家が愛した美食を訪ねて」の中に「巨匠モネの終の住処でレシピを再現」を見つけた。浮世絵の飾られたダイニングルームやルーアンのタイルで覆われたキッチンが懐かしい。モネのレシピとして「鳥の狩人風」「ニンニクスープ」「緑のムール貝」などの料理が紹介されている。そして、モネに捧げる料理「赤いベリーのスープ バニラの香り」には「グルマンのモネは、家族を愛し、庭を愛し、美食を愛した」と添えられていた。

 

ジュベルニーの後に訪れた、パリ オランジュリー美術館の「睡蓮の部屋」は圧巻だった。
「睡蓮」を飾るために作られた楕円形の二つ部屋に、巨大な8点の連作が壁一面に展示されている。「睡蓮の池」に魅了され描き上げられた傑作だが、モネは、「睡蓮の部屋」の完成を見ることなく1年前の1926年に86歳で他界した。

2021年6月 「始末のこころ」

 「しまつのこころが育んだ京のおばんざい」を読んで京都の祖母を懐かしく思い出した。 京都で生まれ育った祖母とは一緒に暮らしたことはないが、手先が器用で周りの人々を幸せにする祖母の話はいつも母から聞かされていた。 頭の回転が速く、しっかり者だった明治の女性である。


外で珍しいお料理をいただいたときは、まず料理人をほめて食材や調理法を聞き出し、食材を手に入れ手際よく再現し、自分の物にしてしまっていた。 味が微妙に違うと納得できるまで試す努力も惜しまない。手先も器用で、古い着物を色々なものに作り替えていた。特に綿入れの襦袢を数えきれないほど作り、近所の方や欲しい方に配っていたが、それが評判になりあちこちから古い着物が集まってきたという。袢纏は東京で暮らすわが家にも送られてきて、冬には、母子孫3代で祖母の手造りのぬくもりをかみしめたものだった。 今、手元に残っているのは子供用の1点だけになってしまったが、これを見ると祖母のやさしい顔が浮かんでくる。

 

2015年、京都市はごみの半減を目指す改正廃棄物条例の愛称を「しまつのこころ条例」と定めた。古くから「しまつのこころ」は、京都の文化や暮らしの中に息づいているが「おばんざい」も、しまつのこころから生まれたといわれている。大根とお揚げの炊いたん、水菜とガンモの煮物、加茂なすの揚げ浸し、菜の花のごま汚しなど家庭料理だから枚挙にいとまがない。物を大事に長く使いなるべく使い捨てしない。普段は節約をして暮らすが、使うべきところでは使うのが始末の醍醐味と言われている。「しまつのこころ」は食品ロスをも救い、国際語でもあるMOTTAINAIに通じ、世界が2030年までの実現を目指すSDGsにつながっていく。Repeat Revive Reborn 3つのR、私にとっては日々学びである。

 

祖母から教わったことは沢山あるが、特に記憶に残っているのは3つの言葉である。

  1. ・「何があってもあわてるな」
  2. これは、戦争体験を通して得た心がけだろう。困難なことに出会った時にもあわてず、自分を客観視できるような人でありたい。
  3. ・「感謝の心」
  4.  仏壇の前でいつも手を合わせていた祖母の姿を思い出す。どんな時も「ありがとう」の気持ちを忘れないようにしたい。
  5. ・「施しの心」 
  6. 日々の生活にゆとりがないとついつい自己中心になりがちだが、俯瞰的な眼を持ち心にゆとりを持っていたい。

 

2年前の5月は京都の従妹や叔母を訪ねる計画だったが、コロナ禍で実行できていない。あれから2年、寺の住職をしていた叔母夫婦は京都から娘家族の暮らす奈良に転居してしまった。コロナが落ち着いたら訪ねたいところは沢山ある。懐かしい人たちにも会いたいし、新緑のまぶしい南禅寺や永観堂、鞍馬方面も訪ねたいが・・・コロナ下で衰えた足腰を鍛えなければと思う日々である。

2021年7月 「巣ごもり観戦」

 スポーツの歴史は、先史時代から始まる。人間は言葉を発明して万物の霊長となったが、狩猟時代に道具を使用し始め、生きるためだけの生活から解放されスポーツを生みだした。「スポーツの三要素」とは遊戯、闘争、はげしい肉体活動だとされている。

 

コロナ下でのオリンピック開催は、開幕直前の不祥事も加わり、国内のみならず海外からも批判が相次いだ。 このような状況下で開会されたオリンピックだが、開会式の平均世帯視聴率は、56.4%にのぼった。閉塞感の漂う中で、人々のスポーツの祭典に対する期待を感じた。

 

開会式で印象に残ったのは、ミーシャの国歌斉唱、ピストグラムのパフォーマンス、聖火最終点火の大坂なおみである。様々な問題を抱えての開催だったが、いざ始まってみるとアスリートのしなやかな動きにくぎ付けになる。どこにも出かけられず退屈な時間を過ごす巣ごもり族にとって、オリンピックは格好の娯楽になった。娯楽とは「人間の心を楽しませ慰める活動をさす」とあるが、なるほどである。

 

早朝、新聞を取りに行くのが楽しみになり、TV欄と有明テニスの森で行われるテニスの試合のスケジュールチェックが日課になった。それにしても、観たい競技をすべて観戦できないのは本当に残念なことだ。何とかできないものかと、TV・PC・Ipadを駆使し同時中継で複数競技を楽しんでいる。それでも足りない時はケイタイも加わる。 写真は、競泳の大橋悠依選手が2冠を達成した瞬間とテニスのセンターコート、No.1コート、それぞれの白熱の映像である。

 

テニスの大坂なおみは、「2020年では最も重要な大会」「日本代表として五輪に出場することを誰よりも誇りに思っている」。母国で五輪が開催されるのは生涯に一度あるかないか。ましてそのとき自分がメダルを狙えるポジションにいるなんて――。「歴史をつくるのが好き。『これは誰もやったことがない』っていわれると、私の目標になる」と語っていたが、残念ながら力を出し切れず3回戦で敗れた。敗戦後「ものすごいプレッシャーがあった」と振り返っていたが、8月30日から始まるUSオープンでの活躍が楽しみである。

 

新型コロナウイルスの感染拡大が続く緊急事態宣言下、殆んどの試合を無観客で開催する東京2020は。1896年に始まった近代五輪の中でも記憶に残る大会になるだろう。

2021年8月 「こころに残る選手たち」

コロナ禍での開催が議論される中、オリンピックに続いてパラリンピックが開催された。すべての人に歓迎れた大会ではなかったが、こころに残った選手たちがいる。


【3位決定戦でメキシコに敗れた男子サッカー
3位決定戦でオーストラリアに敗れた久保選手がピッチで泣き崩れるのを見て、涙は枯れることがないのか。このまま泣き続けたら身体の水分が無くなってしまうのではないかと心配になるほどだった。幼少期を除き我を忘れて泣いたことがない(泣けない)私は、その潔い泣きざまに羨望を感じた。涙の枯れた久保選手は「今までサッカーだけやってきて、こんな悔しいことはない」と語った。


自国のオリンピック開催で、53年ぶりのメダルを期待された選手たちは、この悔しさをバネに次を目指すのだろう。勝者がいれば敗者が生まれ・・・戦いは果てしなく続く。

 

【男子400メートルリレーでのバトンミス
外の9レーンからスタートした第1走者の多田選手の反応は素晴らしかった。第2走者が待つ区間に入り、手に持ったバトンを伸ばすが、勢いよく飛び出した山県選手に追いつけない。練習では滑らかに渡ったバトンがつながらない。そして、そのままゾーンを越えてしまった2人は天を仰ぐ。

「いったい何が起こったのか・・・」 ゴールでは、 優勝したイタリアチームが喜びを爆発させている。時間が止まる。

 

確実にバトンをつないだ予選に比べ、決勝は走り始めるタイミングを0.7足長ほど早め「攻めた歩数でいくことになった」という。練習では問題なく渡せていたというが、個人個人のタイムが劣る選手たちへのプレッシャーは計り知れないものがあったのだろう。日本が得意とするアンダーハンドパスの失敗は、「金」狙いの一発勝負が裏目に出てしまった結果となった 。

 

【マラソンで「銀」「銅」を獲得したのは国籍の異なるソマリア難民】 
42.195キロのゴール直前、オランダのナゲーエ選手が何度も振り返りながら、ベルギーのアブディ選手に「ついて来い」と励ます姿があった。
事情を知らない私は、国籍が違う選手をなぜ振り返り励まし続けているのか、理解できなかった。


レース終了後、銀メダルのナゲーエ選手(オランダ)と銅メダルのアブディ選手(ベルギー)が、ともに32歳のソマリア難民だということを知った。ナゲーエ選手はもっと手前からスパートを掛けられたが、余力のないアブディ選手の様子を見守りタイミングを見ていたという。「オランダ、ベルギーだけでなくソマリアの若者にもインスピレーションを与えられた。陸上だけでなく、他の競技でもソマリアの若い世代に頑張ってもらいたい」と感激した面持ちで語っていた。

 

アブディ選手は、内戦のために8歳でソマリアからジブチへ出国し、その後エチオピアを経て、母親の出稼ぎ先のベルギーで家族全員と暮らせるようになった。「ソマリアではサッカーが唯一のスポーツ。欧州に来て走ることを知った。日本の夏は厳しかったけれど、滞在は楽しめた。普通のときに日本に戻ってきたい」と喜んでいた。 ソマリア難民の2人が「銀」と「銅」を獲得したことは、世界の出来事を身近に感じた瞬間でもあった。

 

【パラリンピック 女子トライアスローン】 
新型コロナウイルスの感染拡大が収まらず、大会に向けられるも視線が厳しさを増す中「大会に挑戦する価値は、かつてなく高まっている」と訴えるパラアスリートの女性医師がいる。スペインでコロナ患者のリハビリ支援にあたるなど、コロナ対策の最前線に立ちながら東京大会の開催を支持している、スペインのスサーナ・ロドリゲス選手33歳だ。そのロドリゲス選手は、28日に行われたトライアスロン女子視覚障害の部で、2位に大差をつけ金メダルを獲得した。

 

東京五輪の開催を目前にして、米「タイム」誌は「東京オリンピック・パラリンピックで競う前に、新型コロナウイルス感染症と戦った6人のヒーローたち」と題して特集を組んだが、その表紙を飾ったのがロドリゲス選手だ。「あらゆることは克服できると、私は証明し続けていきたい」という言葉は、力強くまぶしい。

2021年9月 「宇宙の日」

毎年9月12日は「宇宙の日」。毛利衛宇宙飛行士が日本人として初めてスペースシャトルに搭乗し、宇宙へ飛び立った日が9月12日であることにちなみ、国際宇宙年であった1992年に制定された。1992年と9月12日の読み方が同じ92で、日本語の語呂合わせになっている。

 

毛利さんは北海道の余市市出身で、余市には毛利さんが官長を務める余市宇宙記念館がある。コロナ下で一時閉館されていたが緊急事態宣言終了に伴い、明日10月1日(金)から開館される。その記念館を訪れたのは20年ぐらい前になるだろうか。宇宙を身近に感じる宇宙ステーションや「デジタルプラネタリウム」「3Dシアター」のほか、宇宙や航空に関連する教室や工作教室、科学教室などが行われていた。毛利さんが訓練時に着用していたブルースーツ(初代、2代目)や少年時代に愛用した天体望遠鏡などのほか、搭乗したスペースシャトルの部品や宇宙で使用した衣類なども展示されていて興味深かった。

 

現在は「きぼう~宇宙での生活~」 のコーナーも開設され、日本が独自で開発した宇宙実験棟「きぼう」をイメージした空間の中で、宇宙でのトイレやベット、宇宙食等、宇宙での「衣・食・住」をみることができ、余市湾から宇宙エレベーターに乗って宇宙に出発する夢の世界を迫力の3D映像で体験できる施設になっている。

 

12日、BSテレ東京で放映された「宇宙の日」での「宇宙ビジネスの覚醒」にはわくわくさせられた。

第一部 映画「遠い空の向こうに」
第二部 「KIBO宇宙放送局」宇宙の初日の出2021from国際宇宙ステーション お正月の再放送
第三部 ドラマ「40万キロ彼方の恋」
第四部 映画「おかえり、はやぶさ」
第五部 「宇宙ビジネスの覚醒」
アマゾンのジェフ・ベゾスによる再使用型ロケット「スペースX」の垂直着陸に成功し、今年は宇宙の話題が身近になった。ホンダはこれまでの自動車のノウハウを活かし小型ロケットの開発を始めていることを発表し、NECは宇宙ソリューションで災害監視、環境監視、宇宙科学の研究を進めるなど、日本の新規ビジネスも急速に進んでいるという。

 

29日、「野口宇宙飛行士ミッション報告会」と題した野口さんとゲストとの対談が、JAXAのYouTubeで配信された。

〇国際宇宙ステーション(ISS)に3度目の滞在した野口聡一さんが見た宇宙 
野口さんは2005年に米スペースシャトル、09年~10年にロシアのソユーズ、そして20年~21年は米スペースXの宇宙船クルードラゴンの乗って地球と宇宙を往来した。

 

10年ぶりの国際宇宙ステーションは民間技術によって大きく進化していた。
『一つは、小型衛星の活用の広がりで、今回の滞在中に日本の実験棟「きぼう」から12個の超小型衛星を軌道に送り出した。3Dプリンターの進化もすさまじい。ISS内には微小重力下で使えるプリンターが設置され、補修部品などがその場で製造できる。これから月や火星を探査していくうえで、現地で部品を作るのに欠かせない技術だ。将来は食べ物などもプリンターで作るようになるだろう』

『もう一つは遺伝子解析装置。今では靴箱に入るほど小型になりISS内で使えるようになった。宇宙空間の環境が生物に与える影響など遺伝子レベルの研究がスピードアップしている』

 

〇今年3月、宇宙服に身を包んで15年ぶりに船外活動をした55歳で体験した宇宙の深淵のエピソードは、太陽電池パネルの部品を取り付けるため、長さ100m以上あるISSの一番端まで命綱を頼りに移動したという話。

『40歳の初飛行時に船外活動を3回していたが、今回ISSの端で得た感覚は初めての体験だった。
高度400Kmの軌道を高速で飛ぶISSでは45分ごとに昼と夜が訪れる。その時は日中だった。太陽光が構造物を照らし、眼科には地球が青く輝いている。ところがISSの端に到着して外側を向いた瞬間に、視界から一切の光が無くなった。宇宙空間には音も重力もないため、ほぼ資格だけが自分の存在の頼りになる。その視界をも急に失い、宇宙服のヘルメットの向こうには漆黒の闇があるだけ。そこは私たちがいる生物圏とは全く別の世界。生と死の境目に身を置いた不思議な感覚は、死の恐怖とは違っていた。諦念に近いのかな。圧倒的な宇宙の摂理の前では品減は小さな存在であることを明確に感じた。』

 

JAXAは13年ぶりに宇宙飛行士を募集する。野口さんは31歳の時に選ばれ、40歳で初飛行し、3度目の宇宙滞在は日本人最高齢55~56歳の挑戦だった。宇宙飛行士募集で選ばれるのは一番優秀な人ではなく、その時々のニーズに最も適した人だという。

コロナコロナで閉塞感が漂う中、空に目を向けると無限の可能性が広がっている。

2021年10月 「気候変動」

10月に入り、コロナの感染状況が落ち着いてきた。まだまだ油断大敵であるが、それでもほっとする。買い物で行き交う人々、とくに親子連れの人たちの顔が明るくなったのは嬉しい。

 

新聞の「未来面」に「専用の人工衛星があったらどう使うか?」という問いかけがあった。ある高校生は「人工衛星で太陽光発電を実現し、再生可能エネルギーが普及していない地域に送電したい」と、投稿していた。電磁波の影響など、実現するには様々な課題があるが、宇宙に広がる太陽光エネルギーに夢は膨らむ。

 

自然エネルギーには風力、地熱、水力などがあるが、総合的にみるとやはり太陽光エネルギーが一番優れているように思われる。人工衛星でなくとも、今ある太陽光パネルをバージョンアップさせ、エネルギーを効率的に作り出すことはできないだろうか。これに成功すれば、地球と太陽が存続する限り、人類にとって尽きることのないエネルギーとなる。

 

アメリカ国籍の真鍋叔郎さんが地球温暖化に対する気候モデルをスーパーコンピューターで計算し、ノーベル物理学賞を受賞した。真鍋さんは、ここ数年頻発する異常気象について、さらに深刻化すれば気象災害による「『気候難民』が増える」と懸念を示し「大気中の二酸化炭素(CO2)が増え続ける限り、異常気象は続く」と、各国政府に長期的な視点で対策に取り組むよう求めた。「各国はできる対策にすぐに取り組むべきだ」と訴えている。

 

19日、世界気象機関(WMO)が、地球温暖化が現状のまま推移すると2040年代にはアフリカの氷河が全て消滅するとの見通しを公表した。ケニア山(5199メートル)では最も早く、30年代にも消滅する可能性がある、という。北極圏でも、夏の海氷の減少が進んでいることが明らかで、実際の減少は気象予測モデルの予報より速いペースで進み、2030年代に北極海に氷のない夏が来るであろうと言われている。小さな氷片に残され不安そうな表情を浮かべる白熊の映像をみて、今、動きださなければ手遅れになると思う。

 

日本の研究開発環境が悪化し、真鍋さんをはじめ優秀な人材の頭脳流出が問題となっている。欧米と比べ科学技術予算の少なさが魅力のない環境になっているが、日本の宝は人である。なんとか政治の力で改善してもらいたい。

 

随分スケールの小さな話になるが、マンション暮らしのわが家にも小さな太陽光パネルが1枚ある。鼻で笑われそうなものだが、地震など災害時には携帯の充電などに多少は役立つのでは、と思っている。起業家たちが次々と宇宙旅行をし、月や火星に住む研究も進められている今日、子や孫の未来のためにも人類の知恵を集めて、今ここにある危機を乗り越えたいものである。

2021年11月 「こころ豊かな一日」

「原田マハと名画を訪ねて」~東京国立近代美術館 アンリ―ルソー~を見て、皇居北の丸公園にある東京国立近代美術館を訪ねた。

 

イベントとして開催されていたのは「柳宗悦没後60年記念展 民藝の100年」。「暮らし」を豊かにデザインする伝統的な手仕事による柳宗悦、濱田庄司、河井寬次郎の作品が展示されていた。民芸運動に携わった柳宗悦らの紹介と各地の民藝コレクションの陶磁器、染織、木工、蓑、ざるなどの暮らしの道具類などのほか、出版物、写真、映像などの資料も展示されていた。

 

民芸の展示場を巡った後、目的の常設展示場に向かった。原田マハの押しであるアンリ―・ルソーの「アンデパンダン展に参加するよう美術家を導く自由の女神」は、ルソーが仲間の画家たちに「この展覧会にぜひ参加しよう!!」と呼びかけるためプロモーション用に描いたものだという。 展示会へ出品する作品を携えた画家たちの行列を天使が天上からラッパを吹きならしながら導いているのである。原田マハの解説を思い出しながらじっくり眺めていると、私の中の眠っていた何かが目覚めたような気がした。

 

心の高ぶりを感じながら神保町まで歩き、古本の町を散策した。神保町は十数年訪れていなかったが、それでも懐かしい。一つ一つの古書店が「ようこそ」と歓迎してくれているようで嬉しい。古書店巡りの後、喫茶店「ラドリオ」に立ち寄った。ラドリオは、ウインナーコーヒー発祥の店と言われている、昭和レトロなお店である。店は半地下のように薄暗く、昔懐かしいジャズがかかっている。案内されたのは、窓に向かって座るひとり席。テーブルは読書机のようで、初めてなのに無性に落ち着く。コーヒーが運ばれてくる前に目の前の本棚に置かれていた杉崎恒夫の歌集を手に取った。

  【パン屋のパンセ】

 ・美しい紅茶には神様が住んでいる ある朝ふいに信じたくなる
 ・半透明のガレの硝子のとんぼたち いつも蒸発かんがえている
 ・こわれやすい鳩サブレーには 微量な添加物として鳩のたましい
 ・止まりたいところで止まるオルゴール そんなさよなら 言えたらいいのに
 ・宇宙には時差がないから 夜中でも長い電話をくれるあの人
 ・星のかけらと言われるぼくが いつどこで かなしみなど背負ったのだろう
 ・こんがりと夕焼けベーカリーが焼あげし クロワッサンを一つください
 ・バゲットの長いふくろに描かれし エッフェル塔を真っ直ぐに抱く
 ・バゲットを一本抱いて帰るみち バゲットはほとんど祈りにちかい
 ・気の付かないほどの悲しみある日には クロワッサンの空気をたべる

 

わずかな時間にすべて読めたわけではないが、ほのぼのとピュア―な歌が心にしみる。
帰宅してから作者を調べてみると、天文台に勤めながら短歌を詠み続けた歌人で、作品は70歳以降のものらしい。

 

心豊かな一日を閉めくくったのは、レトロなお店のホイップクリームとほろ苦いコーヒーとのバランスが絶妙なウィンナーコーヒーだった。

2021年12月 「ARRIVED WIND」

今年3月1日に107歳で永逝した世界的な美術家の篠田桃紅を追悼する展覧会が銀座のギャラリーで開催された。


その書体にあこがれ、エッセイ集「墨いろ」を読んだのは40年も前のことである。1979年に日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した「墨いろ」は、前書きが加えられ2016年に再版されたが、その前書きに「ラクで間違いなくやれることであんまりおもしろいことはない。それを知ることが、人生というものに飽きずに生きる秘訣かもしれません」とある。

 

銀座のギャラリーに展示された50点の作品は、みずみずしい感性で描かれておりそぎ落とされた究極の美が何かを訴えかけてくる。帰路書店に立ち寄り、最後の著書になった「これでおしまい」を購入した。108歳を迎える誕生日の3月28日に合わせて出版される予定だった書である。帰りの電車で読み進むうちに、なんとか作品を手にできないかという思いがつのってきた・・・ギャラリーでの販売価格は、リトグラフで100万以上、金箔を使った作品に至っては3000万を超えている。

 

自宅に戻っても作品が目に浮かび、翌日もギャラリーを訪ねてみることにした。「さあ、もう一度会いに行こう」と気合を入れて出かける準備をしていたが、開館時間は10時ではなく11時からだとわかった。

 

その1時間を利用して複数の業者に問い合わせることで、相場の価格を知ることができた。価格は作者が亡くなった3月以降急騰しているが、銀座での価格は高すぎるという。美術品の価格はどれが正解なのか分からないが、はやる心を一旦落ち着かせ、問い合わせた業者を訪問し「ARRIVED WIND」の購入を決めた。 人や本には出会いがあるが、作品にも出会いがあると思った。

 

「重いので宅急便で送ります」というのを断り抱えて持ち帰ったが、不自然な恰好で運んだためか腕ならぬ足の筋を痛めてしまった。 トホホであるが、壁にかけられた作品は存在感があり、最高のクリスマスプレゼントになった。


篠田桃江は「墨いろに心を託した-抽象画家」と言われるように、書家であり抽象画家である。2006年にはニューズウィーク誌にて「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれ、その作品は、世界中で愛され大英博物館やメトロポリタン美術館にも収納されている。

著書に「時間というものをいい思い出になるように持てたら、人間はいいなと思いますね。」とある。人生の最後が来たとき「人間っていいな」と思いたい。墨いろは、真黒でもなく「玄」であり、人生のようないろだ。