年末の大掃除を終えた部屋に鈴木有哉の「富士」の絵を掛けると、一気にお正月を迎える改まった気持ちになる。玉堂美術館の初代館長を務めていた大叔父にあたる鈴木有哉のお宅を訪ねたのは、もう何十年も昔のことだ。青梅の川のほとりに佇む自宅兼アトリエには、沢山の作品が無造作に置かれていたが、歳を重ねるごとに明るい色彩を使うことが多くなってきたと穏やかに語っていたのを思い出す。
東山魁夷の「風景との対話」を読み、作者の美に対する心にふれ「美の根源」に気づかされた。その文章は素晴らしく、読んでいて心が穏やかになる。
著書について、川端康成が次のようなコメントを寄せている。
『美しくさはやかな本である。 読んでいて、自然の掲示、人間の浄福が、清流のやうに胸を通る。これは東山魁夷といふ一風景画家の半生の回想、心の遍歴、作品の自解であるが、それを通して、美をもとめる精神をたどり、美の本源をあかさうとするこころみは、つまり、個を語って全てを思ふねがひは、静明に、温和に、そして緊密に果たされている。散文詩のやうな文章が音楽を奏でている。 』
数ある作品の中で唐招提寺障壁画などの大作も素晴らしいが、1950年の「道」、1953年の「たにま」、京都小景の「落柿舎」「宵山」「一力」「雪の石庭」などの作品に心惹かれる。
第4章 ひとすじの道
野原に延びるひとすじの「道」は本のタイトルの「風景との対話」そのものに思えてくる。「道」の構想は、青森県種差海岸の牧場でのスケッチを見ているときに浮かんできたというが、現実の風景でなく、象徴の世界の道だという。「道」を眺めていると、どこかにあるであろうこの道をいつか歩いてみたいと思う。
第22章 古都慕情
『晴れた日、緑青色の山の繁りに群所色の雲の影が落ちる。それは大和絵の風景である。雨の日は、薄墨で幾重にも暈かし、霧が山襞を明らかにして、水墨画の世界となる。』まさに日本画の世界である。
文の中に、南禅寺、永観堂、真如堂、苔寺など懐かしい名前が出てくる度にドキドキするのはなぜだろう。
最近、日本画の精神性の奥深さに気づかされることが多いが、新年早々素晴らしい本に出合えたことに感謝している。