新緑に染まる奈良と京都を訪ねた。 奈良では明日香村や興福寺、京都では洛北の大原や修学院離宮、源光庵などを巡り、祖母や父が眠る東本願寺では、これまでかかわってきた人たちとの人生に思いをはせた。
【明日香村】
近鉄吉野線の飛鳥駅に降り立ち明日香村観光協会推薦で遺跡巡りに便利だという周遊バスの一日券を買ったが、どこからでも自由に乗り降りできるという「かめバス」は、土日を除くと便数が少なく、のどかな田園風景を眺めながら・・・てくてくと歩くことになった。
(高松塚古墳) 藤原京期の古墳で、直径23メートル(下段)および18メートル(上段)、高さ5メートルの二段式の円墳。1972年に極彩色の壁画が発見され、一躍注目された。被葬者は天武天皇の皇子説などがある。「高松塚壁画館」では、原寸原色で再現された群像図や四神図・星宿図や飛鳥美人に会うことができた。
(天武 持統陵)天武天皇とその皇后である持統天皇の合葬墳墓。直径50m、高さ6.36m、古墳の石室は八角形で、持統天皇は天皇として初めて火葬された。
(亀石)益田岩船や酒船石と並び、飛鳥の石造物の代表的な遺跡。
(石舞台古墳) 国営飛鳥歴史公園内にある日本最大級の方墳。墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈している。築造は7世紀初め頃、30数個の岩の総重量は約2300トン。7世紀初頭の権力者で大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父、蘇我馬子の墓といわれている。
(岡寺)西国三十三所観音霊場の第七番札所として西国霊場草創1300年来、第七番の観音様として信仰を集めており、また日本最初やくよけ霊場としても知られている。
【奈良】
(興福寺)寺のもとになる山階寺が京都に建ったのは669年、中臣鎌足が病気にかかった時、妻が夫の回復祈願に建立した。平城京に移築後に藤原不比等が「興福寺」と名付けた。
(興福寺 国宝館)阿修羅像を始め数多くの国宝が納められている。 先月、上野の国立博物館で出会い損ねた阿修羅像だが、本家で会うことができ嬉しい。阿修羅は天界の神だったが、帝釈天に戦いを挑み続けるうちに戦闘神となる。戦いに破れ修羅道に落とされが、釈迦の説法を聞き改心し仏法や仏教徒を守る神となる。阿修羅の顔は苦悶の表情にも悟りの表情にも見える。
(春日大社) 神山である御蓋山ミカサヤマ(春日山)の麓に768年、称徳天皇の勅命により4神の本殿が造営された。
【洛北】
(大原 三千院) 最澄が延暦寺を建立する際に比叡山の東塔に草庵を建てたのが起源とされる。その後各所を転々とし、現在の地へ落ち着いたのは応仁の乱以降。1871年に三千院と改称された。
(実光院・宝泉院・来迎院)大原の地は、天台宗には欠かせない仏教声楽の聖地で、これらの寺は天台声明の道場や宿坊とされていた。 宝泉院の「樹齢700年を誇る五葉松と、趣の異なる3種の日本庭園」がみどころ。
(寂光院) 594年に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立された尼寺。第3代の建礼門院は、源平の合戦に敗れた後、寂光院に閑居し壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔いながら終生を過ごした。
(修学院離宮) 17世紀中頃、後水尾上皇によって造営された。上・中・下の3つの離宮からなり、借景の手法を採り入れた我が国を代表する庭園。上離宮背後の山、借景となる山林、祖霊三つの離宮を連絡する松並木の道と両側に広がる田畑を有する。天皇家ゆかりの広大な御所や離宮を訪ねると、世間で論議されている皇位継承問題について考えさせられた。
(源光庵)悟りの窓の円型は「禅と円通」の心を表し、円は大宇宙を表現し、円迷いの窓の角型は「人間の生涯」を象徴し、生老病死の四苦八苦を表している。
(光悦寺) 江戸時代の芸術家である本阿弥 光悦が徳川家康よりこの土地を与えられ、様々な工芸を推進する場所として発展させた。光悦の死後、光悦寺となる。境内には7つの茶室が建てられており、鷹峰三山と楓の木々を借景とするその景色が美しい。
(常照寺) 桜や紅葉の名所としても知られている。境内には吉野太夫が寄進した吉野門や、灰屋紹益と吉野太夫との比翼塚がある。
(大徳寺) 1315年建立された臨済宗大徳寺派の大本山。応仁の乱で荒廃したが、一休和尚が復興をさせ、桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の菩提を弔うために総見院を建立し、戦国武将の塔頭建立が相次ぎ隆盛を極めた。 前田家の菩提寺である興臨院と千利休が作庭した黄梅院を拝観した。
【東本願寺】
最後に、父や祖母が分骨されている浄土真宗「真宗大谷派」の本山である東本願寺にお参りした。
「死をみつめると生が問われる」「人と生まれたことの意味をたずねていこう」「人生に正解なし 人生すべて無駄なし」の教えが書かれていたのをみて、哲学者森岡正博の次の言葉を思い出した。 人は皆、「生まれてきて本当によかった」と心の底から思えるような人生を生きたいと願っているが、果たしてどうだろうか。「いったん生まれてきた以上、自分が生まれてきたことを否定してもその先には何も開けない。私は未来に開けていくような別の道を探したいと考えているのである。」