2025年1月 「百年の孤独」

新聞で「文字に魅入られて」という特集を読んだ。 日本語の文字=書体についてである。

 

『本を読むにもメールを書くにも、文字はいつもそこにある。
日本で活字印刷が本格的に始まった明治の初めから、文字づくりを担ったのは無名の作り手だった。金属の活字にもパソコンのフォントにも、その奥に肉筆の気配が潜んでいる。今、時代は紙からデジタルへ。目に映る文字の美しさ、読みやすさの基準が変わり、人と文字との関係も揺れ始めた。

 

印刷の文字は大きく、ポスターや見出しなどで使う「デザイン書体」と小説など長い文章を組む「本文書体」に分かれる。水のような空気のような文字づくりを目指す文字職人の鳥海修さんが、近代文学を組める文字として「游明朝体」を作り上げた。』

 

私が普段使うのは游明朝体だが、パンフレットやメールでは小塚ゴシックやメイリオも使っている。「百年の孤独」は焼酎の商標も本のタイトルも游明朝体だ。友人からいただいた「百年の孤独」は、宮崎県高鍋町の老舗種酒造で作られている焼酎で希少価値のあるお酒だ。慌ただしい年の瀬から「百年の孤独」を読み始め、正月には家族が集まりお節を肴に「百年の孤独」を味わった。

 

小説「百年の孤独」は、1967年にアルゼンチンのスダメリカナ社から刊行された、コロンビアのノーベル文学賞作家ガブリエル・ガルシア=マルケスノーの書である。現在では46言語に翻訳されて5000万部を売り上げている世界的なベストセラーだが、日本では昨年6月に新潮社から文庫本として発刊され、書店で売り切れるほどのブームになった。

 

ガブリエルの生地をモデルにした架空の村マコンドを舞台に、村の創始者ホセ・アルカディオ・ブエンディア一族の100年にわたる宿命を描いている。 日本では「文庫化されたときは世界が終わるとき」と言われたほど、難解な海外文学の代名詞とされていた。
同じ名前の人物が何代にもわたり登場してくるので、何度も冒頭の家系図を見直しながら読み進むことになった。亡霊が庭や家の中をうろつきまわり、ジプシーのメルキアデスが百年前に一族の歴史を予言するなど、どこまでが現実なのか幻想なのか分からない世界が繰り広げられている。文学界では、「魔術的リアリズム特有の現実性と非現実性が入り混じったあいまいな世界」と言われている。小説なのだから時間軸についても空想についても非現実は当たり前だと思えるが、その後の村上春樹やカズオ・イシグロらにも影響を与えたのだろう。

 

焼酎の「百年の孤独」という名前は、このガブリエル・ガルシア=マルケスの小説が由来となっている。 酒造メーカーで文学好きの4代目がマルケス氏に電話をし、商品名として「百年の孤独」を使用したいと直談判したという。

 

 世界の名だたる作家たちがガブリエルの影響下にあるというこの名著は、なかなか手ごわい。 
スッキリした飲み心地の銘酒と不思議な読後感が残った名著で年初めの乾杯をしたが、今年はいったいどんな年になるのだろう。      

2025年2月 「河津桜」

昨年の三浦半島の河津桜に続き、今年はその地名がついたという伊豆河津町に出かけた。
数度にわたる寒波の襲来により伊豆半島でも春の訪れは遅く、車窓から見えるワサビ田の付近には残雪も見受けられた。2月末、河津川沿いの河津桜は木々によって2分咲きから7分咲きだったが、陽の当たる場所の桜は見事で4000本もの桜が満開になったらさぞ壮観だろうと思われた。

 

散策の途中、川沿いにある小さなすし屋に入った。店主は高齢の女性だったが、寿司を握りながら馴染みの客を相手に話が止まらない。席が空いているにもかかわらず、新しい客が来ると「今いっぱいなので、すぐには握れません」と断ってしまうようなマイペースだった。

 

この日は店主の女性一人だったが、ご主人は水産大学卒業後、大学院に進み日本初の冷凍技術の研究に携わっていたということで「地場ものでない魚ならば冷凍物の方がよほど美味しい」と話していた。伊豆で有名な金目鯛も地球温暖化のためか、この頃は不漁が続いているという。 桜のほか、河津町にはわさびや原木シイタケなどの特産品がある。町は豊かな自然に恵まれ「わさび栽培」には天城山系の名水が利用されている。店主は、今日は「この一本」と言って大ぶりのワサビを取り出し、お馴染みさんにすり下ろさせて皆に振舞ってくれた。桜とお寿司を楽しんだ後、近くにある町営の「踊り子温泉」に立ち寄った。泉質はナトリウム - 塩化物温泉 (弱食塩泉)で、透明でたっぷりのかけ流しの湯は歩き疲れた体を癒してくれた。

 

すし屋の店主はかなり高齢に見えたが、寿司を握る手際の良さとおしゃべりは、若い人と遜色がない。 手先を動かし好きなことをおしゃべりしていれば若くいられるのだろう。最近は「人の名前が出てこない」「判断力が鈍った」と「脳の老化」を感じることが多いが、脳の発達や加齢のメカニズムや脳を若く維持する方法が研究されている。脳の老化スピードは個人差が大きいとされ、年を重ねてもはつらつとしている人はうらやましい。その差を生み出すものは何なのか知りたいものだ。

 

東北大学加齢医学研究所瀧靖之教授は「私たちの脳は一定の発達を遂げると、神経細胞などの数が徐々に減って体積が減少し、萎縮していきます。それに伴い、考える、判断する、記憶するといった『高次認知機能』の低下も進んでいきます。加齢による脳の変化は誰にでも起こるものですが、変化のスピードには個人差が大きいことが分かっています」と語っている。

 

 「脳の老化の個人差」
同じ年齢でも、脳の萎縮度に差が生じる背景は生活習慣の影響が大きい。「研究所では、脳のMRI画像を基に、脳の形態や機能、認知力、遺伝子や生活習慣などの情報をデータベース化して、脳の発達や加齢との関連を研究している。膨大なデータを解析していく中で、脳の萎縮を促す要因や、脳の萎縮スピードを抑える要因には、生活習慣が大きく関わることが分かってきている」

 

加齢による脳の変化は避けられない一方で、脳の機能は何歳からでも向上でき、新たな能力を獲得することも可能であることが分かってきた。この“脳力”の成長にも、生活習慣や日ごろの過ごし方が大きく関わってくるという。 加齢によって脳ではどんな変化が起こっていくのか、その変化にはどんな要因が関連するのか。 瀧靖之教授のテーマは以下の5つ


1. 脳の老化スピードが速い人・緩やかな人、その差はどこに?
2. 脳の老化は20代から始まっている!
3. 脳萎縮を進めるリスクが高いお酒とタバコ
4. 睡眠時無呼吸症候群の人の海馬はどうなっている?
5. 骨の弱さや歯周病が脳の萎縮に関係する可能性
6. 脳はいくつになってからでも成長する!

日々ボーっと過ごしているが、高齢者が好齢者と言われるようになるために、生活態度を改めなければならない。

2025年3月 「小説とAI」

イギリスでは今、日本の小説が翻訳部門売り上げの4割を占め日本小説が英国を席巻しているという。ケンブリッジ大のビクトリア・ヤング准教授によると「日本作家といえば村上春樹さんのイメージはまだ強いが、直近では女性作家の作品が人気だ」。世界的な権威のある英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門「ブッカー国際賞」には、20年に小川洋子の「密やかな結晶」、22年に川上未映子さんの「ヘヴン」が最終候補に残った。小川洋子はノーベル文学賞候補にもなっている。日本の現代文学を読むことはイギリスでは、洗練されたファッショナブルなイメージがあるのだそうだ。

 

第170回芥川賞を受賞した九段理恵の「東京都同情塔」はその5%をAIが書いたということで話題になった。


主人公は建築設計事務所勤務の37歳牧名沙羅。東京オリンピック2020の新国立競技場のデザインは、ザハ・ハディド氏の設計に決定したが、その後工事費などの問題で白紙撤回され、隈研吾設計による新国立競技場が建設された。小説「東京都同情塔」では、ザハ・ハディド設計の競技場が完成され2020年には東京オリンピックが開催されていることになっている。その新国立競技場の隣に現代版「バベルの塔」と言うべき犯罪者を収容する超高層塔を建設することになる。この塔の名前が「シンパシータワートーキョー」、同情されるべき人々(ホモ・ミゼラビエイス)だ。

 

初めに、人間の思い上がりから神の怒りをかい放棄せざるを得なかった「バベルの塔」について語られ、最後に同情塔を完成させたことを後悔することで結ばれる。AIを頼って自分の心を言葉で騙していたことが間違いの根本的原因だったと気づき、塔が破壊される未来を幻視することになる。

この小説は、「全体の五パーセントは生成AIを利用して書いた」として話題となったが、主人公は生成AIと対話しながら建物の構想や設計を進めている。 AIが書いたと思われる文章はゴシック体で挿入されている。

 

「次回は95%をAIが作る作品を作ってはとのどうか」との提案を受け、芥川賞作家による次の挑戦が始まった。
最初のテーマ設定や話の展開はすべてAIに提案させ、作者はAIに意見を出したり方向性を指示したりしながら執筆を進める。冒頭と文末の文章について作家が提案し、修正を加えて2週間ほどで完成させたとのことだ。博報堂の雑誌「広告」にはこれらの制作過程の一部も公開されている、というので早速雑誌を予約した。

 

私は、ChatGPT 初心者だが、便利なツールでこれからは色々な方面で活用されるだろう。1年ほど前に漢詩を色々と試作した。今年もトライしてみたが、この1年でAIがスキルアップしていたのは嬉しいことだった。AIの作成したものに自分らしさを加えて再度試作してみた。今月末の日曜日、私たち夫婦の喜寿の会と孫の中学入学を祝う会を開いた時に、作成した漢詩とそれぞれの誕生日の花言葉にメッセージを添えて手渡した。 漢詩は、それぞれの名前の一字「泰 美 光 令 徳 志 樹 勇 智 実 梨」を組み合わせてのAIとの共作となったが、末永く心に留めたい美しい詩になった。

 

「新たな挑戦としてAIとの共作を引き受けたが、人間がフィクションを想像する本質的な意味について考え直すきっかけになった」という九段理恵の言葉に共感した。「東京都同情塔」は、10か国以上の言語で出版される予定である。

2025年4月 「美術館めぐり」

上野で開催されている2つの展覧会に出かけた。
1つは芸大美術館で開催されている「相国寺 金閣・銀閣寺 鳳凰が見た美の歴史展」。
もう一つは国立西洋美術館の「西洋美術どこから見るか ルネッサンスから印象派まで」で、そのタイトル通り、作品の味方が分かりやすく展示されていた。国立西洋美術館には2週間後に再度訪れることになるのだが・・・。

 

【相国寺 金閣・銀閣寺 鳳凰が見た美の歴史展】 東京藝大美術館

京都は両親の故郷で私にとっても懐かしい場所だが、相国寺には一度も訪ねたことがなく「鳳凰がみつめた美の歴史相国寺承天閣美術館開館40周年記念展」を楽しみに出かけた。

 

相国寺の歴史は、室町幕府三代将軍・足利義満(1358~1408)が1382年に発願し、京五山禅林の最大門派であった夢窓疎石を勧請開山に迎え、高弟の春屋妙葩を実質的な開山とし創建された。寺は、御所の北側に位置し、金閣寺、銀閣寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山である。

 

創建から640年の歴史を持つ相国寺は、時代を通じて多くのの芸術家を育てた。室町幕府の御用絵師とされる相国寺の画僧・如拙と周文。室町水墨画の巨匠と称される雪舟。 江戸時代の相国寺文化に深く関わった狩野探幽。画家・伊藤若冲、原在中、円山応挙などなど枚挙にいとまがない。今回の展覧会では国宝・重要文化財40件以上を含む名品が紹介されていた。

 

相国寺と縁が深い絵師は伊藤若冲だ。なじみのある虎の絵もあったが、四面から成る鹿苑寺大書院の障壁葡萄小禽図は大胆な構図で素晴らしく息をのんだ。京都嵐山にある福田美術館で見た若冲のイメージを変えるものだった。他に、明の永楽帝による勅書、丸山応挙の大瀑布図、雪舟による毘沙門天像、長谷川等伯など見ごたえ十分の展示だった。

 

【西洋美術どこから見るか ルネッサンスから印象派まで】 国立西洋美術館
サブタイトルは、サンディエゴ美術館 vs 国立西洋美術館となっている。

国立西洋美術館は、松方コレクションが核となって1959年に設立した、西洋の美術作品を専門とする美術館で、中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画と、ロダンを中心とするフランス近代彫刻を本館、新館、前庭で年間を通じて展示されている。特別展と常設展を楽しむことができる

 

1959年に完成された本館は「近代建築の5つの要点」や、「無限成長美術館」の思想を体現している。日本における近代建築運動に大きく貢献したとされ、世界遺産に登録されている。じっくり建物を見たのは今回が初めてだったが、建物だけでも一見の価値がある。

本館の展示では、作品が4章に分かれて展示されていた。印象的だったのは以下のとおり

 

  1. ルネッサンス     ルネサンス期の宗教画、ジョット「父なる神と天使」
  2. バロック  サンチェス・コターン「マルメロ、キャベツ、メロンとキュウリのある静物」
  3. 18世紀  マリー=ガブリエル・カペ「自画像」
  4. 19世紀  カミーユ ピサロ 「立ち話」
  5.  

【2度目の訪問】
国立西洋美術館の特別展で夫とはぐれてしまい、常設展でもなかなか出会うことができず、広い展示場の中を足早に探しながら二順してしまった。 夫は途中で歩き疲れてしまいベンチで2回も休んでいたのだという。毎日のようにテニスに出かけるスポーツマンだが、なぜかウォーキングや階段にはめっぽう弱い。そんなわけで、2週間後一人で常設展を再訪することになった。常設展の方は65歳以上は無料である!!

 

【常設展】には、中世末期から20世紀初頭にかけての西洋絵画やフランス近代彫刻など、約6,000点もの貴重な作品が展示されている。主な作品と特別開催は以下である。
・ドルチ 「悲しみの聖母」
・モネ 「舟遊び」「睡蓮」
・ロダン「化粧するヴィーナス」
・ゴッホ「ばら」
・梶コレクション 色彩の宝石 エマーユの美 

 

2度目、は常設展をゆっくり巡り 路上ライブや不忍池の周りの散策を楽しんだ。

2025年5月 「バラのある風景」

バラの美しい季節になった。特に今年は例年にも増して美しいように思う 。
横浜では、3月19日から6月15日までさくら、チューリップ、バラを中心にガーデンネックレスと称し、街を彩る取り組みを行っている。友人に誘われ高島屋で開催されていた第150回横浜バラ展に出かけたが、やはり、青空の下で楽しむのが一番だ。

 

バラは、横浜市の市花になっている。パンフレット「Garden Necklace YOKOHAMA2025」を片手にバラたちに会いに出かけた。青空を背景に広がる花園と港が醸し出す異国情緒は横浜ならではの景色だ。

 

【山下公園】
関東大震災のがれきを埋め立てて作られた公園は、海に面した市民の憩いの場所になっている。係留された氷川丸の前の「未来のバラ園」には160品種1900株のバラが咲き誇っていた。公園にはベンチが点在しているので色とりどりのバラやつるばらのアーチをゆっくり楽しむことができる。空色のネモフィラやクレマチスとバラのコンビネーションも美しい。

 

【アメリカ山公園】
元町中華街駅屋上の美しい公園。駅上にこんな公園があることを今まで知らなかったのは不覚。 庭師の方がお庭を管理されていたが、環境教育としてミツバチも飼育しているそうだ。 丸弁咲きの、バーガンディレッド色の渋いガーデンディアイスバーグがお気に入りのバラに加わった。

 

【みなとの見える丘公園】
イギリス館は、昭和12(1937)年に、上海の大英工部総署の設計によって、英国総領事公邸として使用された館で、広い敷地をもち、東アジアにある領事公邸の中でも上位に格付けられていた。イングリッシュローズの庭には150種、800株のバラが咲き競い、館の中からもバラ園を見渡すことができる。

 

【山手111番館】
 ワシン坂通りに面した広い芝生を前庭とてし、港の見える丘公園のローズガーデンを見下せる。大正15(1926)年にアメリカ人ラフィン氏の住宅として建設された館は、大正9(1920)年に来日したモーガンの代表作の一つとされている。 赤い瓦屋根に白壁の建物がよく映える。地階がコンクリート、地上が木造2階建ての寄棟造りとなっている。

 

【山手資料館】
横浜市内に残る唯一の「和洋折衷住宅」木造西洋館で1909(明治42)年に建造された。館内には、チャールズ・ワーグマンのポンチ絵やジェラールの西洋瓦等、文明 開化当時をしのばせる展示品など、居留地だった頃から関東大震災までの横浜や山手に関する資料を展示している。

 

【山手234番館】
関東大震災の復興事業の一つで、横浜を離れた外国人に戻ってもらうために昭和2(1927)年頃に外国人向けの共同住宅として建てられた。設計者は、隣接する山手89-6番館(えの木てい)と同じ、朝香吉蔵。

 

【山手イタリア山公園】
プラウ18番館は外交官の家が建つ美しい庭園で、テラスからは横浜ベイブリッジの風景を楽しむことができる。 以前、イタリア領事館がおかれたことから「イタリア山」と呼ばれている。イタリアで多く見られる庭園様式を模し、水や花壇を幾何学的に配したデザインの公園。花壇では四季折々の花を愉しむことができ外国のお庭に迷い込んだようだ。 イタリア山庭園の壁面一面を彩るバラは、大丸谷坂のバラとして知られている。バラが壁面にしだれるように咲き誇るさまは、美しい。

 

横浜では2027年、国際園芸博覧会『GREEN X EXPO』の開催を予定しているが、世界中からどんな花々が集まってくるのか楽しみだ。マスコットのトゥンクトゥンクは遥か宇宙のかなたから地球にあこがれてやってきた妖精のこと。何だか夢がある。

2025年6月 「京都と万博」

京都と大阪万博を巡る駆け足の旅にでかけた。 2日間は両親の故郷である京都を訪ね、3日目に夢洲の万博会場に向かった。


【京都 1日目】
《醍醐寺》
200万坪におよぶ広大な境内は霊宝館エリア、三宝院エリア、伽藍エリアと3つのエリアに分かれている。

‐霊宝館‐一千年を超える歴史を持つ醍醐寺は、木の文化・紙の文化の伝承の宝庫で、仏像、文書、絵画をはじめとする古代、中世以来の貴重な寺宝は約15万点にも及ぶ。建造物や諸堂に祀られている諸仏、諸尊以外は、総床面積千百坪の館に収められていて、一部が公開されている。静かな館内で仏像に対峙していると、歴史の流れを感じることができる。

‐三宝院‐醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住している。その建造物の大半が重文に、庭園全体を見渡せる表書院は桃山時代を代表する寝殿造りで国宝に指定されている。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭と言われている

‐伽藍 ‐国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工し村上天皇の天暦5年(951)に完成した。 京都府下最古の木造建造物で、内部の壁画は日本密教絵画の源流をなすものといわれている。

 

《勧修寺》
美しい池泉庭園と静かな雰囲気が魅力の真言宗寺院は鎌倉の光明寺にそっくりなので驚いた。


この日は東本願寺でお坊さんの説明を拝聴し参拝記念の栞をいただき、隣接する渉成園を訪ねた。錦市場では母の想い出の鯉の煮つけを求め、最後に四条烏丸でお茶をして長い一日を終えた。

 

【京都 2日目】終日雨の一日

《相国寺》
御所の近くにある相国寺承天閣美術館を訪ねたが、国宝・重要文化財40件以上を含む相国寺派の名品は全国を回り、この時期は北海道近代美術館に移送中で出会えなかった。それもそのはず、春に東京藝術大学大学美術館で開催された『開館40周年記念「相国寺展―金閣・銀閣 鳳凰がみつめた美の歴史」 雪舟、若冲ら芸術を育てた名刹』でその存在を知った。それらの秘仏には上野の藝大ですでに会っていたのだからここで会えないのは致し方ない。

 

《Salon de1904》 京都府庁旧本館にある国の重文指定の歴史的洋館の佇まいのレトロなカフェでランチ。
旧本館は、明治37年(1904)に建築されたレンガ造りの洋館で、内装や調度品に工芸品の趣を感じる。

 

《京セラ美術館》  「モネ 睡蓮のとき」を鑑賞する  
東京西洋美術館での展示終了後、日本初公開作品7点を含む およそ50点が春の京都に集った。究極のモネ展と言われ「大画面の〈睡蓮〉に包まれた、風景の中へ。」雨で急遽予定を変更して訪れることになったモネ展だったが、会場もすいていてゆっくり楽しむことができた。10年ほど前、パリのマルモッタンモネ美術館 (Musée Marmottan Monet)を訪れた時のことが懐かしく思い出され、ジュベルニーのモネの庭の景色が鮮やかに蘇る。

 

【3日目 万博】
万博を訪れるのは今回が3度目。初めて訪れたのは1970年開催された大阪万博のEXPO'70。この万博を象徴するものとして、岡本太郎作の「太陽の塔」、「月の石」、「人間洗濯機」が記憶に残るが、時代は高度経済成長期で日本中がわくわくウキウキしていた古き良き時代だった。

 

2005年に開催された愛知万博のテーマは、「愛・地球博」「つなぐ 未来(あした)へ」。タイの友人が万博を見に来日するというので付き合ったが、人気のパビリオンは予約もできない状況で、長時間並んだ印象が強い。 トヨタ・パートナーロボットなど、楽器演奏ロボットによるバンド演奏や、DJロボットとMCとの掛け合いなどが人気だったが、展示場で見たのはリニアモーターカーの試運転映像などなど・・・・。 歩き回った割には見学範囲が限られ、パッとしない印象だった。

 

2025年のテーマは、”いのち輝く未来社会のデザイン(Designing Future Society for Our Lives)”。
『人類共通の課題解決に向け、先端技術など世界の英知を集め、新たなアイデアを創造・発信する場に未来社会の実験場となることを目指す。』とある。 並ばない万博を唱っていたが、パビリオンを予約するのに苦労した。 やっと抽選で当たったのはカナダパビリオンのみだ。

 

カナダパビリオンのテーマは、氷片によって川の流れがせき止められ、春告げるという自然現象。 パビリオンの外観は、氷片によって川の流れがせき止められる「アイスジャム」を表している。館内に入るとタブレットを渡された。タブレットを人工の氷山にかざすと、山々や町々に春を告げるかのような3Dの映像が映し出されていく。展示のテーマは、「カナダの歴史と未来を横断する旅へと来場者をいざなう再生」だが、技術的にも新鮮味が感じられなかった。その他のパビリオンとしてはUAEやロボット館、コモンズ館などを回った。

 

今回の一番の目的は大屋根リングを実際に体感することだった。大屋根リングの設計・慣習にも携わった会場デザインプロデューサーの藤本壮介さんは「世界がつながっていることを一目で分かるようにしたい、それを象徴するのが大屋根リングだ」と語っている。実際に大屋根リングの上を歩き、その場にいるという特別感を味わった。360度の景色を眺め、時空の風を感じてみるとやっぱり来てよかったと思った。

 

今日は6月30日、大阪・関西万博のポーランドパビリオン主催、EU議長国記念のスペシャルコンサートが開催される日。残念ながら日時が合わず、参加出来ないが、ヨーロッパのトップアーティストたちと、日本・大阪を拠点とするプロオーケストラ「アマービレフィルハーモニー管弦楽団」が共演する。音楽と映像が融合する、一夜限りの特別ステージで参加定員は1万人、無料の音楽イベントになっている。

 

第一希望だったポーランドパビリオンは抽選で外れて見学できなかったが、隣接のレストランでポーランド料理を楽しむことができたのも良い思いでになった。