称名寺の元になった今泉不動が開かれたのは、弘仁九年(818年)といわれています。
称名寺の元になった今泉不動が開かれたのは、弘仁九年(818年)といわれています。
称名寺本堂より奥にあり、階段を登った先にあります。
空海が悟りを開いた不動堂ですが、鎌倉初期に真言密教の円宗寺となり、鎌倉の歴代将軍が信仰したと言われています。
不動堂との分岐点から、石段を下りると「陰陽滝」と記された石碑があります。
これは幅の広い男滝で、左がわに幅の狭い女滝があります。落差は3メートルほどです。山々から湧き出る水は、「今泉」という地名の由来にもなっています。
弘法大師がこの地にやってきた時に、老人に姿を変えた不動明王のお告げを聞き、不動明王の像を彫り岩肌を掘って祈願したところ、清水が湧き出て滝になったという伝説があります。
源頼朝創建と伝わる毘沙門堂で、源頼朝が鞍馬寺から行基作の毘沙門天立像を安置したことに始まる古刹です。創建は、頼朝上洛の建久元年(1190年)とされていますが、明治維新以降に白山神社となりました。
毘沙門堂の本堂前には大きな注連縄(しめなわ)がかけられています。守護虫である大百足(おおむかで)にあやかったもので、毎年1月8日に大注連縄祭が行われています。
本堂への参道には鎌倉市の指定有形民族文化財である庚申塔(1672年)があります。
白山神社の入り口に 江戸時代の狂歌師、天広丸の歌碑があります。
くむ酒は 是風流の 眼なり
月を見るにも 花をみるにも
安政(1854~1859)の頃、この地域は「裏今泉」と言われていました。この一帯はすべて今泉山称名寺の持山でしたが、江戸末期の住職がこの地域を大船、岩瀬、今泉の3部落に無償で分与したため、「散在の山」と呼ばれるようになりました。
鎌倉湖とも呼ばれる散在ケ池とその周辺には散策路があり、鴨などの野鳥が多く見られます。
立原正秋「挨拶」より
「瑞泉寺の裏山から天園の尾根を歩いて半僧坊に至る手前の山路を右に折れると、散在ヶ池があった。 尾根を下りながらみおろすと、春の湖は山と空と雲を映して冷たく光っていた。…」