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瑞泉寺 総門

二階堂の奥深く入った谷戸にある瑞泉寺は、関東公方足利家の菩提所で、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の首位に位置付けられています。

 

水仙で有名なお寺ですが、四季折々の花が境内をかざり「花の寺」としても知られています。

天園ハイキングコース

総門脇に「天園ハイキングコース」の掲示があります。ここから入る山道は、瑞泉寺の裏山から建長寺、今泉方面へ通じるハイキングコースになっていますが、2019年の台風による倒木の影響で一時閉鎖されています。

夢窓疎石

参道の階段を上ると、「夢窓国師古道場」と刻まれた石柱があります。国師は国師号で、疎石は法名です。

 

夢窓疎石は、円覚寺開山仏光国師の孫弟子で、円覚寺、南禅寺、浄智寺など五山の住職に就いていました。また、禅庭・枯山水の完成者として世界史上最高の作庭家の一人であり、瑞泉寺のほか、美濃の虎渓山永保寺、甲斐の恵林寺、京都の天龍寺や西芳寺も作庭しました。それぞれが国の特別名勝・名勝に指定されています。

山崎方代歌碑

山門の手前に歌人の山崎方代の歌碑があります。

 

    手の平に 豆腐をのせて いそいそと

        いつもの角を 曲りて帰る

吉田松陰碑

山門の左手前に「松陰吉田先生留跡碑」があります。


吉田松陰が下田からの米国密航を前に、瑞泉寺の住職をしていた伯父を訪ねたことを記念して建てられたものです。

吉野秀雄歌碑

山門の左手に鎌倉ゆかりの歌人、吉野秀雄の歌碑があります。

 

   死をいとい 生をもおそれ 人間の 

         ゆれ定まらぬ こころ 知るのみ

山門

山門に行くには、左の急な石段の男坂と右のなだらかな女坂があります。
門には「瑞泉蘭若」と書かれた額が掲げられています。

 

永井龍男「秋」より

「寺への石段は、昔からの男坂と、この頃作った女坂とある。 私は急な男坂を選んで止まり、それでも途中で枝越しの空を仰いだ。息切れがして吸い込む息が、にわかに冷たかった。・・・この池に月の映るのを見たら帰ろうと思い定めて、本堂の裏を右へまわりいったん矢倉をくぐって、この寺の一番奥へ入った。・・・」

 

一茶俳句

右の門柱に掲げられた一茶の句です。

 

  日が永いながいと のらりくらりかな

久保田万太郎句碑

山門を入ったすぐ左に、小説家・劇作家・俳人・演出家として活躍した久保田万太郎の句碑があります。

 

   いつぬれし 松の根方ぞ 春しぐれ

鐘楼

「錦屏晩鐘」と名付けられた鐘が吊るされています。

除夜の鐘をつくことができます。

本堂

中央にはご本尊である釈迦牟尼仏、右に夢窓国師像、左に木造千手観音坐像が安置されています。千手観音は水戸黄門が安置した物であると伝えられています。

天女洞

夢窓疎石が作庭した庭園で、昭和に入ってから発掘されました。凝灰岩の岩盤を彫刻的手法で掘り込んだもので、「岩庭」とも呼ばれ書院庭園のさきがけとなった、鎌倉に残る鎌倉時代唯一の庭園です。

 

正面の大きな「天女洞」は水月観の道場とし、東側には坐禅のための「座禅窟」があります。「貯清池」の左側には橋が二つかかっています。

方丈

夢窓疎石は、方丈の奥にある座禅窟で座禅修行をしたと伝わっています。

 

嘉暦元年(1326年)夢窓疎石は、南禅寺を退き二階堂道蘊が建立した南芳庵に入りますが、翌年には浄智寺に移ってしまいます。道蘊は嘉暦二年(1327年)に南芳庵の近くに新に瑞泉院を建立し、疎石を紅葉谷の地に戻すことができました。この年が後の瑞泉寺の創建年になっています。

地蔵堂

157㎝の寄木づくりのお地蔵様「どこもく地蔵」が安置されています。

左手に宝珠、右手に錫杖を持っています。

南芳庵

お茶室は現在公開されていません。この裏手に「保寿軒」「吉祥斉」の二つの茶室があります。

開山堂

国の重要文化財の「夢窓国師坐像」が安置されています。

 

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