鎌倉宮の入口に立つ一の鳥居は、コンクリート製で笠木の部分が赤く塗られ、島木には花菱紋が三か所デザインされています。
鎌倉宮は明治二年、護良親王終焉の場所となった東光寺の跡地に創建されました。ご祭神は後醍醐天皇の皇子の護良親王です。
明治天皇の勅令により建立された神社として旧・官幣中社に列し、鎌倉では鶴岡八幡宮を上回る格式を誇り、毎月多くの祭礼が執り行われています。
鎌倉宮の入口に立つ一の鳥居は、コンクリート製で笠木の部分が赤く塗られ、島木には花菱紋が三か所デザインされています。
鎌倉宮は明治二年、護良親王終焉の場所となった東光寺の跡地に創建されました。ご祭神は後醍醐天皇の皇子の護良親王です。
明治天皇の勅令により建立された神社として旧・官幣中社に列し、鎌倉では鶴岡八幡宮を上回る格式を誇り、毎月多くの祭礼が執り行われています。
一の鳥居と比べると小さく、笠木が紅白の二段に分かれており花菱紋はありません。
護良親王は、後醍醐天皇の皇子として「建武の中興」に大きな役割を果たし征夷大将軍となりましたが、健武元年(1334年)足利氏らの讒言で捕らえられて東光寺(現・鎌倉宮)に幽閉されました。
翌年の「中先代の乱」で北条氏が鎌倉占拠した際、鎌倉を逃れる足利直義は家臣に親王を殺害させました。
鎌倉宮では、年間を通して様々な神事が行われています。
1月1日 「歳旦祭」、2月3日 「節分祭」、4月3日 「神武天皇遙拝式」、5月5日 「草鹿神事」、8月20日 「例祭」、10月上旬 「薪能神事」、11月23日 「新嘗祭」、12月31日 「除夜祭」など
10月に予定されていた「薪能」は、コロナ感染防止のためオンライン配信されました。
立原正秋「薪能」より
「この時である。昌子は、ひときわ澄んだ太鼓の音とともに、丸天の高みから薪能の篝火がこちらに近づいてくるのを見た。篝火は幾重にもなり、その向こうには祖父の顔、父の顔、叔父の顔も見えた。」
拝殿は、白木を用いた妻入りの切妻造で、神明造の本殿とは異った造です。舞殿を兼ねているため、壁がない開放的なデザインで回廊が取り巻いています。
本殿は、平入りの切妻屋根に風切りを明けた千木を立て、鰹木を五本乗せた神明造です。本殿は棟塀と瑞垣で囲まれていますが、一般公開されていません。
拝殿では、例大祭等の行事が執り行われます。
毎年10月に拝殿で行われている薪能ですが「第62回鎌倉薪」は、新型コロナ感染予防のため12月15日からオンラインで映像配信されています。
金春流能楽師が素謡「翁」、仕舞「羽衣」「鍾馗」を奉納します。
[配信場所]鎌倉観光公式ガイド(https://www.trip-kamakura.com/)
拝殿から本殿に向かう通路には屋根があります。この辺りは「幣殿」の役割を果たし、祭礼の際には御神職や参列者の拝礼の場となります。
本殿を囲む瑞垣の上に庇の深い「中門=菊の御紋の門幕」が掛かっています。拝殿から中門手前の庇下までの通路の床には砂利が敷き詰められています。
本殿の裏手に、護良親王が9か月間幽閉されていたと伝わる「土牢」があります。本殿北側の瑞垣に沿って進むと石碑があり、菊の御紋が入った白い石扉と白塗の塀で本殿と隔てられたその先にあります。
明治六年、鎌倉で陸軍攻撃演習が行われた折に明治天皇が行幸された際の行在所として建てられたものです。
鎌倉宮ゆかりの品々が陳列されています。
東京美術学校(現・東京芸術大学)教授であった山田鬼齋作の「護良親王乗馬御木像」、明治の元勲・初代首相伊藤博文の書、子供神輿二基を含め計三基の御神輿、太山寺(神戸市)宗徒に向けて北条家打倒のための挙兵を促す護良親王の令旨などをガラス越しに見ることができます。