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化粧坂

海蔵寺方面から源氏山に通じる切通で、新田義貞が鎌倉攻めの際に使ったといわれており国の史跡に指定されています。

 

南北朝時代の歴史書の「梅松論」には、化粧坂山上の北側の「葛原」が戦場として登場します。鎌倉七口のなかで最も斜面が急な「切通」で、新田義貞はここを突破できず、稲村ヶ崎から鎌倉中に攻め入ったと書かれています。

源氏山公園

園内には頼朝像などがあり、春には桜、秋には紅葉が楽しめます。近くには鎌倉大仏へ抜けるハイキングコースや葛原岡神社、銭洗弁天、佐助稲荷があります。

葛原神社

鎌倉幕府打倒に尽力した日野俊基を祀った神社で、近くにお墓もあります。

銭洗弁財天

源氏山から坂道を下ると銭洗弁財天に出ます。


正嘉元年(1257年)源頼朝は、宇賀神から「この地に湧き出す水で神仏を供養すれば、天下泰平の世が訪れる」という夢のお告げを受けます。頼朝は、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられています。

同年、5代執権北条時頼がこの霊水で銭を洗って一族の繁栄を祈願したのが銭洗の始まりだといわれています。

銭洗弁財天

宇賀神と弁財天が神仏習合して弁財天と呼ばれました。湧き出ている水は、鎌倉五名水の一となっています。

 

境内洞窟にある清水でお金を洗うとお金が何倍にもなるという言われているので、子供も大人も真剣なまなざしで洗っています。

佐助稲荷

銭洗弁天と鎌倉大仏の中間で鎌倉の隠れ里と言われる地にあります。朱の鳥居を抜ける参道から神狐、境内には所狭しと白狐が祀られています。

 

社伝によると、神霊が翁の姿で病を患った源頼朝の夢枕に立ち、薬草を与え、平家を倒すための旗揚げを勧めたということです。頼朝は佐殿と呼ばれていたため、その頼朝を助けたので佐助神社と呼ばれるようになったということです。


この辺りには、詩人の菊岡久利が住んでいました。

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