大仏さまとして親しまれている高徳院は、鎌倉材木座の光明寺の末寺で「奥ノ院」になります。阿弥陀如来坐像の大仏さまは、数百年ものあいだ屋外にありながら、造立当初の状態がそのまま保たれており貴重な存在です。
仁王門では阿形・吽形の仁王様が迎えてくれます。
大仏さまとして親しまれている高徳院は、鎌倉材木座の光明寺の末寺で「奥ノ院」になります。阿弥陀如来坐像の大仏さまは、数百年ものあいだ屋外にありながら、造立当初の状態がそのまま保たれており貴重な存在です。
仁王門では阿形・吽形の仁王様が迎えてくれます。
棟門に向かって右手奥に、境内にある歌碑・句碑に関する案内板があります。
与謝野晶子のほか数々の歌碑があります
星野立子句碑 大仏の冬日は山にうつりけり
金子薫園歌碑 寺々のかねのさやけく鳴りひびき かまくら山に秋かぜのみつ
飯室謙斉句碑 春の雨かまくらの名も和らぎて
吉屋信子句碑 秋燈火机の上の幾山河
鎌倉大仏に関する記録はほとんどなく、創建の目的、造立の経緯はもとより、創建時の山号・寺名も残されていません。「吾妻鏡」等に記された記録から、江戸中期に現在の高徳院が成立する以前の鎌倉大仏に関することが分かります。
など
観月堂は高徳院の回廊の北庭にあるお堂で、ご本尊の聖観音像(江戸幕府二代将軍・徳川秀忠公持仏)が安置されています。
観月堂の建物は、韓国ソウルの朝鮮王宮にあったものを大正時代に移築したものです。
大仏の真後ろに2.4mの与謝野晶子自筆の歌碑がありますが、晶子が明治三十八年に詠んだものです。
「かまくらや みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におはす 夏木立かな」
休憩所に飾られている片足90㎝×180㎝で約45㎏の大わらじです。常陸太田市中野町の松栄子供会が奉納しているもので、「大仏さま。座ってばかりいないで、散歩に出かけてください」という意味が込められています。
1951年に開催された旧郡戸村産業祭に出品した大わらじを、 「戦後復興間もない日本中が幸せになるよう、大仏さまにわらじを履いて行脚してもらおう」 ということで奉納されたのが始まりです。半世紀以上の歴史があるもので、3年に1回作り替えられているそうです。
大仏の裏手から常磐へと抜ける大仏切通しは鎌倉七切通しのひとつです。七切通しは、朝比奈、名越、化粧坂、大仏、極楽寺坂、亀ヶ谷坂、巨福呂坂の7つです。このうち古道らしさが残る切通しは、朝比奈、名越、化粧坂、大仏の4つです。
大仏を越えてしばらく行くと大仏トンネルが見えてきますが、トンネルの右側に階段があり、これが大仏切通しの入口です。
葛原岡ー大仏ハイキングコースは約3キロです。