海光山慈照院長谷寺と号する浄土宗の寺で、開山は徳道です。736年に藤原房前が十一面観音像をご本尊として開山したと言われています。
徳道は、養老五年(721年)に楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体を大和の長谷寺の本尊にしました。もう1体は祈請して海に流したところ、15年後に相模国の三浦半島に流れ着きました。この観音様を安置して開いたのが鎌倉の長谷寺であるといわれています。
海光山慈照院長谷寺と号する浄土宗の寺で、開山は徳道です。736年に藤原房前が十一面観音像をご本尊として開山したと言われています。
徳道は、養老五年(721年)に楠の大木から2体の十一面観音を造り、その1体を大和の長谷寺の本尊にしました。もう1体は祈請して海に流したところ、15年後に相模国の三浦半島に流れ着きました。この観音様を安置して開いたのが鎌倉の長谷寺であるといわれています。
書院前にある石庭です。
二臂の弁財天と十六童子が壁面に掘られています。
弁財窟内の弁財天像です。
福壽地蔵が安置されています。
境内は「山門」のある「下境内」と「本堂(観音堂)」がある「上境内」に分かれ、両者の中段に「地蔵堂」という三層構造となっており各々石段で繋がっています。
お地蔵様は道に迷った人を助けてくれたり、子供たちを守ってくださる仏様です。
ご本尊の十一面観世音菩薩は、高さ9.18メートルで、木造としては日本最大とされています。 ご本尊である十一面観音像は、錫杖と呼ばれる法具の杖を右手に持ち岩座の上に立っています。
境内には、高山樗牛記念碑や高浜虚子句碑、久米正雄胸像などがあります。
久米正雄は、鎌倉文士の中心的存在として活躍しました。
虚子句碑 永き日の われらが為の 観世音
梵鐘は国指定の重要文化財となっています。
行基によって海に投げ入れられた観音像は、体に付着した「かきがら」の導きで15年後に三浦半島の長井の浦に流れ着き、その後鎌倉に移されたと伝えられています。
かきがら稲荷には、「観音さまのお導きがありますように」との願いから、沢山のかきがら絵馬が奉納されています。
「阿弥陀如来坐像」が安置されています。鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝が厄除けの為に造立したといわれますが、室町時代の制作という説もあります。
巨大な「転輪蔵(経蔵・輪蔵)」です。
経典を収めておく書棚です。転法輪にちなんで、中央下部に機軸を装置して自由に回転できるようにし、六角の各面に扉をつけて経典を取り出しやすいくしています。これを一回転させると、看経するのと同じ功徳があるといわれています。
仏陀の足の裏の形を石の上に刻んだものです。
インド初期仏教では仏像はまだつくられず,法輪,菩提樹,塔などを拝んでおり,仏足石も崇拝対象の一つです。足裏には千輻輪宝,金剛杵,双魚紋などの図があります。日本では天平勝宝5(753)年刻の奈良県の薬師寺にある仏足石(国宝)が最も古いとされています。
「眺望散策路」からの展望です。
高台からは相模湾と三浦半島を見渡す景色が広がります。梅雨の時期には斜面を覆うようにしてあじさいが咲きます。
ゆかりの文人 高山樗牛 高浜虚子 久米正雄 大野伴陸 など