山門に続く参道に沿った塀は、五本の筋塀となっており、門跡寺院クラスの格式を表しています。
中村光夫「泉ヶ谷近辺」より
「この谷戸の中心になっているのは、浄光明寺という寺です。足利尊氏が直義と闘ったときに、ここに本陣を置いたといわれるくらいですから・・・」
山門に続く参道に沿った塀は、五本の筋塀となっており、門跡寺院クラスの格式を表しています。
中村光夫「泉ヶ谷近辺」より
「この谷戸の中心になっているのは、浄光明寺という寺です。足利尊氏が直義と闘ったときに、ここに本陣を置いたといわれるくらいですから・・・」
「八阪不動明王」が安置されており、除夜の鐘の期間中のみ公開されています。
一条戻橋の伝承で有名な怪僧・浄蔵貴所が、傾いた京都・法観寺の五重塔を法力でもとに戻した際に祈祷したのが、この不動明王であったことから、八阪不動明王と呼ばれています。
ご本尊は国の重要文化財に指定されている木造阿弥陀三尊像です。本尊の衣紋には「土紋」といわれる鎌倉地方独特の技法が使われています。
本堂には過去、現在、未来を表す三世仏が、収蔵庫には国の重要文化財になっている本尊の阿弥陀三尊像 が安置されています。阿弥陀堂は、木曜・土曜・日曜のみの公開です。
観音堂の奥には、網引地蔵のやぐらに向かう登り口があります。
崖下のやぐらの中に鎌倉二十四地蔵尊霊場第十六番札所のご本尊「網引地蔵」が安置されています。
裏山には、歌人藤原定家の孫で歌道の名門冷泉家の始祖、冷泉為相の宝篋印塔があります。為相の母は「十六夜日記」で知られる阿仏尼です。
山頂からの景色です。
浄光明寺の先にある鎌倉十井の一つで、今でもきれいな水が湧き出ています。
浄光明寺から100mのところにある地蔵堂です。
源頼朝の娘大姫が祀られています。
浄光明寺近くにある薬王寺です。
もとは真言宗の寺院でしたが、日蓮上人の孫弟子である日像が日蓮宗に改宗させたと言われています。その後は、徳川家康の孫にあたる徳川忠長の正室松孝院の援助を得て、大乗山薬王寺となりました。
薬王寺の寺紋は、徳川家の家紋である三葉葵が用いられており、徳川家と深い関係があることを感じさせるお寺です。
鎌倉市山ノ内から扇ガ谷を結ぶ坂道で、鎌倉七口のひとつです。
急坂のため亀もひっくり返ったの意味があり、亀返坂とも言われています。